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Intermezzo続き「高学歴難民」のどこが悪いのか

最近ネット上で「高学歴難民」の記事を見かけるようになった。有名大学を出た、あるいは修士以上の学位を持っているにもかかわらず、就職できなかった人々を指すらしい。数年前までは「高学歴ワーキングプア」が話題になっていたが、どこが違うのだろう。「ワーキングプア」は曲がりなりにも何らかの労働をしているが、「難民」は働いていない、ということ?

いずれにせよ嫌な言葉である。というのも私はかつて(かなり自覚的に)「高学歴ワーキングプア」予備軍であった。高3で文学部進学を決めた時点で、また大学4年の春に修士課程進学を決めた時点で、親からさんざん反対され、「大企業で上位の職に就くために大学へ入れたのに」と日々イヤミを言われつつ、ひたすら平身低頭でやり過ごした(このイヤミは今でも数日に一回は言われる)。「学歴」があるから収入や組織での地位を約束される、となぜ言えるのか?この世で役に立つかは分からないが、自分の中で一生これだけは大切に持っていられる、という経験を手に入れられれば、多少の損は覚悟しよう、一生バイト生活かもしれないが、自分一人食べていけないことはない、と思っていた。

実際、「学歴逆差別」はあるものだ、と実感したのは、博士課程の入試に落ちたその年である。慌てて履歴書を書きまくり、新聞の求人欄や職安をたどって中小企業40社に応募したが、採用通知が来たのは2社のみであった。そこで入社した会社は全くのハズレで、1年半後、パワハラ上司と衝突して衝動的に退社してしまった。ただし、こちらもこちらで、ごく簡単な事務が全くできない。紙に2つの穴をあけて綴じるのに、二つ折りにして折り目をパンチの矢印に合わせる、というやり方を知らずに、定規で測って印をつけても綴じ目が合わない、と首を傾げていたのはお笑い草もいいところである。

幸い伝手*があって現在の職場に就職し、学生時代には思いもかけなかったシャカイ系の仕事をするようになった。ここでも「集団の中で暗黙に求められる自分の立ち位置(上下というよりむしろ同僚間での)」が見極められずに悩んだことは多々ある(今でもかなり)が、幸い決裂には至らずに今に至っている。

さて、内実はともかく研究機関に勤務し、関連の学会に出入りして色々な研究者に出会った。そこで知ったのは、(あくまで個人の経験の範囲で、またシャカイ系という制約はあるが)「研究」の世界というのは案外「学歴社会」ではない、ということである。無論知識の深さや分析のテクニックは求められるが、出身大学の名前や学位は問われない。偏差値的には決して高くない大学の学部を出て一般企業でビジネス経験を積んだ、あるいは官僚として政策を練り上げる現場に参加したといった人が非常に斬新な観点でキレのいい論文を仕上げてきたりする。

これは前に「繊細にはなれない私」でも述べたが、優れた研究者の素質としてまず挙げられるのは「邪念のなさ」と思われる。自分の選んだ分野の研究が本当に好きで、課題を追求している間は(外見上の)人目は気にしない。有名大学の教授、というような人を見ていて、権謀術策で地位を手に入れた、というタイプはあまりいない。むしろ「天然」系が多い。
他人の研究発表に対して、疑問点には容赦なく突っ込む(これはかなり怖い)が、これは本当に研究として隙があるから追求しているのであって、感情的なしこりはないし、こちらが真剣に調査して質問に答えればその回答を無邪気に喜んで受け取ってくれる。確かに成功するためには興味本位ではなく「売れ筋」のテーマを掴まねばならないのだが、それもバイアスなしにマーケットを観察する素直さあってのものである。

一方、自分が何人か知っている「高学歴難民」を見ていると、才気は感じられるのだが、やはり「研究者」ではないなあ、という気はする。よく聞くセリフに「あれで足を引っ張られなければ」とか「あいつより自分のほうが成績はよかったのに」というのがあるが、そのたび「この人は本当に研究が好きなんだろうか?研究テーマを追求するよりも地位を手に入れたかったのでは?」と思わされる。

何よりイライラするのは、彼らが「高学歴であればそれだけで社会的ステータスが高くあるべき」と思い込んで(下世話な言い方で申し訳ありませんが)「ケツをまくれない」ことである。実験設備が整っていなければできない一部の理系は別にして、大学や研究機関に「就職」しなければ研究活動をしてはいけない訳はない。食べていくために商店その他でバイトして何が悪い?人に寄生するよりせめて「ワーキングプア」で「市井の賢者」であれ、といいたくなるのである。

*テレビドラマなどでよく「実力はないのにコネでひいきされる」という社員が出てくるが、(これも自分の経験の範囲では)あり得ない。同族会社あるいは会社の都合で「コネがなければ雇わない」方針であればともかく、「コネ」で採用された人員は普通の倍の能力がなければ日の目を見ないのである。どの組織にもいる「いじめ体質のボスキャラ」にとって「コネ採用」は格好の対象であって、実力で成果を挙げても「コネだから」と言われる例が多い。「コネも実力のうち。使えるものは使え」と割り切らなければやっていけないのが実情である。

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