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263. 伝えなきゃ、何も伝わらない。


伝えなくても何も変わらないか、そう思ったけど。

持病のアトピーが悪化し、
顔面にヘルペスができ、
かゆみと痛みで体調がよくありません。

それもあって、
「子どものお世話」に加え、
「自らの体を休める」ことが
「緊急なこと」になっています。

だから、「創作」という、
「緊急だけど重要なこと」まで
なかなか手が回りません。

正確にいうと、「緊急なこと」に追われながらも、
頭の片隅ではアイディアがいくつも思い浮かんでいます。

アウトプットしたいことはいくつも思い浮かぶので、
その断片を忘れないようにメモだけはしています。

でも、それを落ち着いて形にする時間がなかなかとれない・・・

そんな状態なので、
寝落ちして、日付が変わってしまったことに気づいた時、
ふと思ってしまいました。

伝えたいことはいっぱいあるけど、
伝えなくてもいいか、
伝えなくても何も変わらないかって。

そう思った時、
樺沢紫苑さんの「言語化の魔力」、
すなわち、
思いを言葉にして伝えることの価値を思い出しました。
そして、自分に問いかけました。

以心伝心じゃない。
伝えなきゃ、誰にも何も伝わらない。

伝えれば、誰かに何かしら伝わる。

その可能性を手放していいの?

伝えてみれば、何かしら伝わる。その可能性を手放したくないと思う。


その可能性を手放したくないと思ったので、
子どもが起きてくるまでの時間を狙って
ノートパソコンに向かいました。
そして、今、子どもが寝静まった後、続きをしています。

確かに誰かに伝わっている実感がある幸せ

1年ぐらい、noteを続けてきて
涙が出るほど嬉しいのは、
確かに誰かに伝わっている実感があるということです。

数としては「雀の涙」かもしれない。
でも、「確かに」伝わっている。
その実感が「ある」ということが
とてもとても幸せなことです。

noteで発信を始めたころは
その実感が全くなく
一人でボールを投げているような気持ち
だったからです。

私はいま、会社などの社会的な組織に所属していないからこそ
そのありがたみを感じているようにも思います。

読んでくださる方、本当にありがとうございます。

noteでのつながりは、今の私にとって、
大切な社会とのつながりの一つです。


最後に

先日、図解お茶会にて
図とは、構造を表現するものであり、
コミュニケーション言語のひとつ
だと

気づかせていただきました。


伝えたいことの構造がぼんやりとしていて、
図に表すことがむずかしいときがあります。

それでも、図にあらわしたくなるのは
伝えたいことがあるから。

伝えてみれば何かしら伝わる。
でも、何かしら、ではなくて、
ちゃんと「伝えたいこと」を伝えたいから、
図を描きたくなるのだ
と、
改めて気づきました。



下手でもいいじゃない。

伝えたいことがあるのだから、
伝えてみよう。

伝えてみなければ、何も伝わらない。
でも、伝えてみれば、何かしら伝わる。

図や絵は、伝えたいことを伝えるのを助けてくれる。
技術的にも時間的にもむずかしく感じることもあるけど、
ひとつでもいいから描いてみよう。

図や絵は、伝えたいことを伝えるのを助けてくれます。娘に良いところと悪いところについて話した時、図をかいてみたら「なるほど」という顔をしてくれました(笑)。


過去に書いたnoteを思い出しながら、
改めてそう思いました。


以上です。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。



読んで下さるあなたがいるから、今日もnoteが書けています。 またお時間のあるときに見に来てくださると嬉しいです。