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#42 不自由だけど、幸せなんだ

危険な状態にあると聞いていた親戚のおじさんが19日に亡くなったらしい。
父が私にメールをくれたけど、手違いで、私にはたまたま届かなかった。

だから、一昨日(21日)が通夜で、昨日(22日)が告別式だったと、今日のお昼ごろ初めて知った。

ショックだった。

まだおじさんは生きていると思っていたからだ。

さぁ、私にできることは何かと考えた時、
香典を速達で送ることくらいだった。

でも、そのためだけに0、3、5歳の3人の子どもを
郵便局へ連れて行くのは大変なので、
当直明けの夫が帰ってくるのを待っていた。

長女と次女は本来なら幼稚園に行っている時間だったのだが、
次女が発熱し、ふたりとも早退してきたため、家にいた。

次女はぐったりとしていたため、やはり郵便局へ連れて行くことはむずかしいと思った。

郵便局すら、思い立ったらすぐ行けないのか、
なんて不自由な身なんだろう、と思うと、イライラしてしまった。

でも、違う、と我に返った。

それだけ大切なものが私にはあるということ。

それは、とっても幸せなことだ、と思い返した。

不自由だけど、幸せなんだ

今度、高校時代の空手道部の50周年の式典があるらしい。
行きたいと思ったけど、子どもや夫のことを考えると、
むずかしいかなと思っている。

髪の毛を切りに行きたい、
歯医者に行きたい、
そんな小さな用事すら
託児のあてがないと無理だったりする。

なんと不自由な身なのでしょう。

正直、困っている。ストレスではある。

でも、幸せ、だと思う。
決して、不幸ではない。

確かに
独身のときや
結婚しても子どもがいないときの方が
行きたいところにすぐ行けたり
用を済ませたりできたり、
自由ではあったけれど、
私はいまの方が幸せなのだ。

それはなぜか

それは、
今の私には、
大好きな夫と
大好きな子どもたちがいるからだ。

不自由だし、面倒なことはたくさんあるけれど、

大好きな家族と一緒にいられる
そんな幸せなことはないと思うのです。

最後に心の中に残るものは

いつか、子どもたちは私たちのもとを巣立っていく。
そして、夫は6歳上なので、おそらく私より先に先立っていく。

やがて、私は自由な独り身に戻ることになる。

不慮の事故等がなく順当に行けば、おそらくこうなると思う。


だからこそ、いま一緒にいられる時間を大切にしたい。

そして、私も世を去る時、自分の人生を振り返るだろう。

そのとき、家族と一緒に過ごした時間は必ず宝物になっていると思う。

不自由でも一緒にいられて幸せだった時間は、
必ず宝物になっていると思う。

もっと一緒にいればよかった、
もっと可愛がればよかった、
もっと甘えさせてやればよかった、
と後悔したくないから、
今日も私たちは一緒にいるのかもしれない。

同窓会に行けなかったとか、
髪を切りに行きたかったのに行けなかったとか、そういうことより、
あのとき「本読んで」って言ってきたのに
読んであげられなかったとかってことの方が後悔しそうな気がするなぁ。

いつ死んでも後悔しないように、今を精一杯生きたい。
自分がいま大切だと思うことを大切にしたい。


そんなことを改めて思った今日でした。


最後に、おじさんに送れない手紙をここに残して終わります。

おじさんへ

おじさんのお家に行った時、
おじさんもおじさんの家族も
いつも温かく笑顔で迎えてくださり、
本当にありがとうございました。

それが、とても嬉しかったので、
今でもよく覚えています。

おじさんの家族がみんな温かかったのは
おじさんが家族みんなを大切にしていたからだと思います。

おじさんの奥さんと仲良くさせてもらっていたけど、
奥さんからおじさんの悪口を一回もきいたことがありません。
奥さんはおじさんのこと、大好きなんだと思います。

私もおじさんみたいに家族を大切に生きていきたいです。
おじさん、どうか安らかに眠ってください。

読んで下さるあなたがいるから、今日もnoteが書けています。 またお時間のあるときに見に来てくださると嬉しいです。