見出し画像

メモリーグラス

氷の数個入ったグラスに琥珀色の液体がゆっくり沈み込む。水が適度に注がれマドラーで氷がカラカラと回った後、目の前のコースターの上にそっと出された飲み物。舌にピリリときて喉が熱くなり、少し苦みの味わいと鼻から抜ける香り。初めて「水割り」を飲んだ20歳。会社の歓送迎会の二次会で連れていかれたススキノのスナックで真っ赤なソファに腰かけていた。

「24時間働けますか?」の謳い文句とバブルの狭間の時、ススキノの夜はことさら賑わい長かった。上司の歌う「銀座の恋の物語」に合わせチークダンスの相手もしたが、打ち上げのメインはカラオケだ。若手はとにかく歌わされる。今でこそ歌うのが好きではあるが、当時は人前で歌うのは気恥ずかしく、小さい声で画面を追いながらマイクを握るだけで精いっぱい。
仕事の経験と自信に声の大きさは比例しているのだろうか…。一曲ノルマと思いながら、膝の上に重くのしかかるカラオケ本をパラパラめくり、番号を恐る恐る伝えていた。男女平等意識の強い職場の風土もあり、女性も夜中の12時をまわるまで二次会は帰れない。夜の会社の付き合いは眠気との戦いでもあった。

アルコールは弱く、すぐに顔が赤くなる。水割りは「超ごく薄でお願いします」と伝えることを覚え、カラオケでは誰もが知る曲を選び、間違っても
先輩の十八番には手を出さず、周りの話に耳を傾け、場を乗り切る。そんな時に歌ったのが堀江淳の「メモリーグラス」。飲めないのに「水割りをください~涙の数だけ~」と。涙の数というなら会社を辞めるまで樽で何リットルになったことか(笑)。

数年後、濃いウィスキーのような先輩諸氏に、水を注ぐがごとく上司の指示を伝える秘書を命じられる。氷のようにくるくると目が回りそうな忙しい日々が7年ほど続いた。やがて自分の送別会で「そんなに歌えたか?」と上司に言われるが、いろいろ飲み干しやり終えた解放感が声に表れていたのかもしれない。

リブリオエッセイの元になった本はこちら↓
塩田武士著「騙し絵の牙」

小説の中の主人公は編集長。会社で働くサラリーマン。そして小説の中で主人公が歌う「メモリーグラス」。会社員生活のことをメモリーグラスの水割りと絡めながら書いてみました。
飲めないわりにお酒の場にはある程度、適応していた独身時代。
「もっと胸が大きかったらススキノで売れるのに」とフツーにセクハラおじさん発言も笑って聞き流し、札幌に単身赴任でやってくる札チョン族と呼ばれる方々に声をかけられることもあった時代のお話です。

ちなみに北海道最大の繁華街「すすきの」ですが新宿の歌舞伎町のように「すすきの」という住所はありません。(地下鉄すすきの駅はありますが)札幌は碁盤の目のように大通りを中心に広がりだいたいアバウトに札幌市中央区の西1丁目から西6丁目の間と南4条から南9条の間とザックリ認識するところが北海道らしさって感じでしょうか。
タクシーで飲みに行くときは「南4の西3(南4条西3丁目)〇〇ビル」と伝えるとよいでしょう。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?