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その本は、きっと。

もし、本に意思があるとして、読んでもらいたい相手にテレパシーでも飛ばし「読みたいから貸して」とその相手に言わせ貸し借りを成立させるということができるとしたらどうだろう…。

なぜそんなことを考えたかというと中学生の時に、貸したはいいけれど戻ってこなかった本というのが私にもあるのだ。特に珍しい本でもなく、誰もが知る漫画から小説化したSF小説だった。なぜ貸す気になったのかはともかく気軽に貸して1カ月ぐらい待てば読み終えるだろう、人のペースはそれぞれ。遅くても卒業式までには帰ってくるだろうと勝手に思い催促をしなかったのが悪かったのか、結局、手元に戻ることはなかったのである。

もう40年も前のこと。記憶もそんなに鮮明ではない。そのころは「いじめ」もあったので、さらに自分で記憶の一部に蓋をしてベールがかかっている状態のままなのかもしれない。本の世界に逃げ込むように過ごし、家では「本禁止令」が出るほど集中して図書館の本を借りて読んでいた私とおそらく人の読むペースは違うはずと、のんきに構えすぎたのだ。

貸した側は帰ってくることが当然と思うのだが、借りた側では返すタイミングを失った場合、返せない理由を自分の都合のいいように解釈し、弁解したくなるようだ。これは本に限らずお金の貸し借りでも同じようなものかもしれない。どちらも期限をしっかり守る相手と取引するに越したことはない。期限を決めずに本を貸した自分も悪いのだろう。

「本よ、すまない。戻ってこられなくしてごめんね。」と言いたいところだが、「自分が読んでもらいたかったから離れたのさ~」とでも本に言ってもらえれば少しは気が楽だ。今頃、きっと、その本は…また別の相手の本棚にでも旅していればいいなと思うのである。

そんな私も義父から借りた本を九州から東京へ連れてきたものの返す間もなく義父が亡くなり、その本が「遺品」となってしまうとはその時は思っていなかった。

リブリオエッセイの元になった本
又吉直樹、ヨシタケシンスケ著「その本は」

エッセイ塾「ふみサロ」提出作品


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