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言語の壁

前置き~フィリピンと出稼ぎ~

フィリピン出身の友達が、フィリピンには、大学を卒業しても無職の人がたくさんいる、と言っていた。
気になってスマホでいくつかの記事を読んでみると、どうやら本当のようで、フィリピンでは卒業してから就活をするのだが、そこから正社員として就職できる人は3,4割だそうだ。
大卒が就職するのは難しく、残りの人はアルバイトをしたり、無職になってしまったりするらしい。
だからフィリピンには、出稼ぎに行く人がたくさんいるらしい。
男性は、サウジアラビアなどアラブの炭鉱や油田、女性は、アジアだとシンガポールなどで家政婦として、北米では看護師や介護士として、多くの人が家族をフィリピンに残し、海外で働き送金する。
政府も力を入れているらしく、海外雇用庁なる省庁があるらしい。
フィリピンの人は英語ができることも出稼ぎが盛んな理由の一つのようだ。

前述のフィリピン出身の友人は、数年前に母親とともに日本に来て、そこから日本語を勉強し始めたそうだ。
それを聞いた当初は、単にすごいな、としか思わなかったが、自分が状況は違えどその立場になるということを体験して見方が変わったので、今回は言語の壁について感じたことを書こうと思う。かなり長いし、ネガティブです。私のあまりのクズさにイラっと来る人もいるかもしません、注意。

アメリカ初日のショック

わたしがアメリカに行った時の話だ。
二人一組でペアを組み、ホームステイをするのだが、わたしのペアの子は父親が外国出身で英語を話すので、聞き取りはほぼ完ぺきにできて、スピーキングも中程度までできる子だった。
アメリカに着いて、それぞれのステイ先のホストファミリーが順に迎えに来た。まだかな~どんな人かな~とワクワクして待っていると、私たちのホストマザーがきた。ホストマザーはわたしたちのほうに歩いてきて、ハローと言った。
そしてそのあとに一言何かを言った。私は聞き取れなかった。
でもペアの子は聞き取れているようで、「yeah」と言った。
そして訳が分からないうちに二人は話していて、スーツケースを持ち、車に乗った。
ハローの後の一言が、「You must be tired」(疲れているでしょうね)だったと理解したのはその時だった。時すでに遅し。今わかっても何も返せないではないか。と当時は思ったが、今なら「さっき、~~って言いましたか、今やっと理解しました笑。もっとゆっくりしゃべってくれるとありがたいです」くらいは言えたとも思う。でもその時は疲れと緊張で頭が働いていなくて、なんて言ったのかを考えるのに必死で、何も言えないままだった。
車に乗ってからも、二人はずっと何か話していた。
二人が何を話しているか、すぐには分からず、少したってから内容の半分くらいを理解できるという状態で、会話についていけない。
わたしが唯一言えたことは、運転中ホストマザーがガソリンスタンドを指さし、日本ではリットルかガロンどっちの単位を使うか聞かれたときの、「リットル」だけだった。
家に着いてからも、ホストマザーが何かを私たちに言い、私が理解しないうちに、ペアの子が答え、え、待って、私まだ答えてない、と思ううちに事が進み、訳が分からなかった。英語の勉強をするためにも、ホストファミリーとたくさん話したいと思っていたのに、これではペアの子ばかり会話していて、私は全然話せない。すごく孤立感を感じた。そのペアの子と特別仲がいいわけでもなかったので、助けてほしいとも言えず、慣れない環境に不安がいっぱいになってしまった。すごく楽しみにしていたのに、こんなに不安だなんておかしいと思った。海外に来れるってすごくお金がかかるし恵まれていることなのに、家族が楽しんできてねって言ってラインを送ってくれるのに、私は楽しめていないどころか、すでに不安で苦痛に感じている。なんでこんなふうに感じているのだろう、私が悪いのだ、この機会を有意義なものにするためにもっと頑張らなけらば。でもホストファミリーともろくに会話ができない、時差ボケで体調が悪いし寝れないし、疲れていた。

二日目

アメリカに着いて二日目、現地のスタジアムでスポーツ観戦に行った。
しかしそこでもホストファミリーが何を言っているかわからなくて会話ができない。ペアの子も助け舟を出してくれるわけではないし、一緒に来たほかの子たちも、孤独や不安を感じている様子には全く見えなくて、ますます疎外されているように感じた。〇にたいと思ってしまって、スポーツ観戦どころではなくて、席を立った。2時間か3時間か、広いスタジアム内を不審者のように一人歩き続けて、試合が終わるまで時間をやり過ごした。同じところを行ったり来たりして、精神と足が疲れてスタジアムの階段でしゃがんでぼーっとしていると、警備のおじさんに、「Are you okay」と聞かれた。「okay」と答えたが、本当はとても不安でさみしかった。なにも関係のない警備のおじさんに、私今英語が分からなくて死にそうなんです、て言ってどうなるのだろう。彼が心配しているのは、私が英会話ができるかどうかではなく、テロや爆発が起きないかなどのスタジアムの治安のことなのだ。

三日目

アメリカに着いて三日目、現地の大学で授業を受けた。ペアの子をふと見ると、現地の大学生の子たちと何か楽しそうに話している。いいな、私は何も話せないし、話しかけられないのに。もうやだ。もっと話したいのに。
その後ホストファミリーが迎えに来てくれた車の中、わたしは泣いてしまった。泣いても泣いても車は…じゃなくて涙は止まらなかった。わんわん泣いていると、ホストマザーはティッシュをくれた。ペアの子も、大丈夫?と心配してくれた。大丈夫じゃなかったけど、何が大丈夫じゃないかは言えなかった。だってその子は英語ができるから、私の気持ちなんてわからない、と意地悪なことを思ってしまった。わたし最低だ。

四日目

四日目、ホストファミリーの娘さんが家を訪れ、一緒にボードゲームをした。ペアの子と、ホストファミリーたちはテーブルを囲み楽しそうに何か話している。なのにわたしは何を言っているのかすぐには分からないし、会話に参加できない。何度、もっとゆっくり話してほしい、と言おうと思ったことか。でも言えなかった。少し経てば、さっきなんて言っていたか理解できたし、ほかのひとは楽しく会話をしているのだから、邪魔をしてはいけないと思った。それにホストファミリーたちはもうわたしに話す気なんてない、ペアの子に話しかけて意見を求めているのであって、わたしに話しかけて質問しているわけではないのに、「ゆっくり話してもらえますか?」は文脈的におかしい、などと考えていた。アメリカにいられる期間は限られているのに、それを言うタイミングを逃しまくっていた。
トイレに行き、また一人で泣いた。次第にペアの子への嫉妬や憎悪が強くなっていった。ああもうなんてわたしは弱虫で意地悪なんだ。
トイレから戻ると、そんな私の様子を感じ取ったのか、ホストマザーが「わたしたちの話を理解できている?」と尋ねてくれた。わたしは「NO」と答えた。他のホストファミリーたちは、次々に「Oh sorry!」と言う。やっと、わたしが会話を理解していないことを伝えられた。今思えば、自分でそれを言えなかったの情けなさすぎると思うし、何も悪いことをしていないペアの子を勝手に憎んでいた自分の心汚すぎると思うが。
その後いったん会話のスピードが落ち、私が理解できるように話してくれていたが、少し経つと、また元のスピードに戻った。やばい、これではまた孤立してしまう。なんていえばいいのだろう。わたしはテーブルの下でスマホを操作してグーグル翻訳を開き、「みんなしゃべるのが早すぎる」と打ち英語訳を覚えた。顔を上げて、「Everyone speaks too fast」と言った。するとみんなまた謝って、ゆっくりしゃべってくれた。

それから

こんな感じで何とかやり過ごした。本当に情けないと思う笑。
アメリカにいる間、めまいと吐き気があり得ないくらい強くて、毎日不快な車酔いのようなめまいと疲れと胃から食べ物がこみ上げそうになるコンボの体調不良だった…(それをほっといたら低音が難聴になりかけていた)。でもせっかくお金をかけてここまで来ているんだ。みんながこれを経験できるわけではない。わたしは恵まれている、ありがたいことなのだ。それに予定は詰まっているし、英語で何と断っていいかわからなので、人生最大に疲労感がたまって意識がボーっとしてきても、英語上達のためにできることを探して動き続けた。そのおかげか最終日に、クラスのみんなを代表して英語でスピーチをするよう先生から頼まれたのは、とてもうれしかった。頑張ったかいがあった。

外国語上達のために

で、長くなりましたが、本題に戻ります。
言葉が分からないってこんなにも孤独で不安で大変なことなんだって、やっとわかりました。フィリピンの友達、本当にすごいなとおもいました。しかもそれに加えて、その異国の地で就職とか進学とかをやって生活していかなければいけないわけです。本当にすごいです、すごいでは言い表せないくらい、頑張っていると思いました。
だから、わたしのこのアメリカでの経験を通して、改めて思い直したことがあります。それは、日本語勉強中の人としゃべるときには、わたしはあなたを聞いて、あなたの言おうとしていることを理解しようとしているよ、という気持ちを持つようにするということです。大袈裟ですが、言葉がわからないと会話に加われず言いたいことも言えず、存在を無視されているように感じます。たとえ自分のわかる言語の会話であっても、自分の意見を言えない、話を聞いてもらえない、会話に置いて行かれる、というのは辛いです。それが自分が分からない外国語での会話、しかもこっちは何とか会話に加わりたいと思っているのにできないとなれば、もっと疎外感を覚えると思います。だから、話に耳を傾けることが大切だと思います。
わたしの大学の外国出身の教授は、留学生が日本語話そうとしている時、「大丈夫、あなたの言おうとしていることは伝わってるよ、頑張って!」と励まします。アメリカでの経験を通して、その励ましが、いかに心を救われるものなのか、いかに言語の上達のためにも重要なことなのか、身に染みて分かりました。その教授は外国語を教えるのも上手で、学生の心を捉える教え方をするので、わたしが目指したいティーチング像でもあります。彼女の教え方が好きです。

長くなりました。
それに私の性格の醜さを見せてしまいました…。
そんな中最後まで読んでくれて本当にありがとう。
るえな

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