とある出陣学徒の記念写真
当方が収集している史料の中には戦時中に撮影された古写真も含まれており、相当数集めています。その中に出陣学徒と思われる人物を写した写真がありましたので、今回はこれを紹介したいと思います。
撮影されたのは家の縁側と思われる場所で、着物を着た十数人の人物が写っています。大人やが子供まで年齢はさまざまであり、中には神職と思われる服装をした人物も写り込んでいます。
そして写真中央に学生服を着た人物が写り込んでいます。
写真裏書には特に有益な情報は記されておらず、撮影日時や具体的な場所までは判明しませんが、時代背景や「祝入営」などと記された日章旗などから考えると、これは出陣学徒の入営記念で撮影した写真なのではないかと感じました。
左端に写り込む在郷軍人会の会旗には具体的な地名が記されているだろうとは思いますが残念ながら写り込んでおりません。
日章旗の寄せ書きから辿る
この写真で残された手がかりは多数の寄せ書きがされた日章旗です。
向かって右側には「祝入営 田中千秋 君」と記されており、この出陣学徒の本名は「田中千秋」なのではないかと思われます。
そして日の丸から少し左に「陸軍大佐 田川潤一郎」との寄せ書きがあります。
田川潤一郎大佐は士候23期の軍用鳩調査委員や独立歩兵第58大隊長、東部軍司令部付などを歴任した陸軍将校ですが、予備役編入後は配属将校として明治大学で勤務していました。
そうなると田中千秋さんは明治大学の学生だったのでしょうか?
それを踏まえて学生帽の帽章を明治大学のモノと比較してみると、確かに酷似しています。
余談ですが一番はじめに紹介した氏名の位置の左隣には「大川周明」の署名も確認できます。
国家主義者であり日本主義やアジア主義を提唱した人物です。
敗戦後の東京裁判では東條英機元首相の後頭部をぶっ叩いたりもしました。
終わりに
写真から判明したのは「出陣学徒の田中千秋さんは明治大学の学生である可能性が高い」という事でした。
明治大学の出陣学徒の戦没者数に関しては敗戦後の混乱期に戦没者名簿が行方不明となり正確な数は判明していないそうですが、少なくとも4603人の学生が出征し、その内の324人程が戦没したのではないかと考えられているそうです。
日章旗に「入営」と記されていることから田中千秋さんは陸軍軍人となったと思われますが、その後どうなったのかは判明しませんでした。
これに関しては情報がお有りの方が居られましたら是非教えて頂きたいです。
今後の調査の進展次第でこの写真はご遺族(ご親族)様にお渡しする、史料館など然るべき場所に寄贈するなども考えます。
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