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小学生の頃のいじめ

さて、話は少し戻って私が小学生の頃の話しです。
私は1年生から3年生の2学期になるまでいじめにあっていました。
イジメられた理由はハッキリと分かってはいません。
自分で考えた結果、よくしゃべる子だったからうるさかったのかな?と思う程度で、原因はいまだにわかっていません。

ですが、いじめの内容は結構ハードでした。
上履きがなくなることは日常的でしたし、画鋲を踏んだこともしばしば。
最悪だなと思ったいじめベスト3は、当時プラスチックの筆箱が流行っていたのですが、うちはそんなに裕福でも無かったので、やっとのことで手に入れた筆箱を大切にしていました。
しかし、ある日それは無惨にも踏まれてバキバキに割れてしまっておりました。
親に申し訳ないと思った私は、親にも言うことができず、しばらくは筆箱がない状態で学校に行っていました。

次に、これが一番辛かったことですが、昔は防災頭巾をクッションがわりに座っていることが普通だったのですが、ある日私の防災頭巾が無くなっていました。
休み時間になり、1人で探し回った結果、男子便器にオシッコまみれとなった防災頭巾を見つけ、私は1人泣きながら手洗い場で洗っていました。

それでも、親に心配をかけたくない私は、親には一言も話さず過ごしていました。
ですが、あることをきっかけに今までのイジメが親にバレることになったのです。

ある日の掃除の時間、何がきっかけだったのかは覚えていませんが、同級生が私にちょっかいを出してきたのです。
私は、相手にするのも面倒なので、黙って掃除をしていました。
当時の箒は、ゴミを掃くブラシを固定する箇所が鉄で出来ていました。

何度も箒の持ち手で突っつかれていましたが、我慢。
相手は調子に乗ってさらに突っつくも、我慢。
流石に我慢が出来なくなり「やめてよ」と言った瞬間。
私は箒の鉄の部分で、何度も何度も殴打され、見かねた周りの同級生が止めるほどでした。
しかし、誰も先生には言わず、私自身も黙って帰宅することに。

夜になり、母親に風呂に入るように言われ、当時の家は脱衣所も無かったので、風呂場の前で脱ぐことになるのですが、私が服を脱いでいると
『あんた、何そのあざ!ちょっと見せなさい』と母親が・・・
なんと私の体にはありとあらゆる箇所にあざがついており、髪の毛の中も切り傷がたくさんできていました。
『何があったの』と言う親に「なんでもないよ」という私ですが、流石に無理があり、最終的には起きたことを全て話すことになったのです。

後日、両親と学校とで話し合いが行われましたが、やはり学校も体裁があるのか、大きな問題にはならなかったような記憶があります。

私はバレてしまったこともあり、母親に初めて「もう死にたい」と伝えました。
残念ながら死にたいと伝えた後の記憶はありません。
ですが、3年の2学期になるまで友達と呼べる人はあまりいませんでした。

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