大晦日の日の母との別れ 2
今日は元日だ。世間は新年のお祝いムードで盛り上がっていることだろう
昨夜の投稿の続きを書こうと思う
消化管出血を起こした母は、苦しそうに唇を噛みしめ「うーっ うーっー」と声を上げていた
腹部がパンパンに張り、主治医は「腸閉塞を起こしているようです」と言った
「お母さん、私の事分かる?」 母はしっかり私の方を見て頷いた。そして母の声はだんだんと大きくなっていった。くちを開けうなるように「あーっ あーっ」と叫ぶような声へと変わった
「たぶんお腹が痛いんでしょうね… 今から痛み止めを打ちますね」 主治医はそう言った
「お母さん、お腹痛いん?」 聞くと母はまた頷いた
痛み止めの注射を肩に注射してもらい、しばらくはうなっていたが、だんだんと落ち着いてきた
うなる声が静かになり、母は少しうとうととしていた
病院から電話があって3時間は経過していた。病状が落ち着いたため、看護師さんに声を掛け、私は一旦帰宅することにしよう
13時頃、妹が面会に行った時は呼吸状態があまり良くなかったとメールがきた
「今年もたないかもしれないよ」 元看護師である妹のメールにはそう書いてあった
夜中に急変したら眠れないかもしれないと思い、私も少し仮眠することにした
携帯の電話が大きな音で鳴り響いたのは、夕方16時だった。「お母さんが急変しました。すぐに来てください!」病院からの電話だった
母に思い入れがない私でも、亡くなる母の姿は少し怖かった。でも… 今までの母の私に対する態度は頭をよぎる。母が旅立とうとしている時に、こんな気持ちでいいのか…
病室に着くと、母はすでに呼吸が止まっていた。
「お母さん、やっと楽になれたね」 「お父さんに会えるね」
そこには40年近く虐待を受けてきた私の、母に対する嫌悪感というか、憎しみ、嫌い、大嫌いと言う感情はどこかへ消えていた。。。
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