ひかる番長

抗がん剤専門の資格を持つ看護師です。産まれた時から波乱万丈の人生を歩いてきました。親か…

ひかる番長

抗がん剤専門の資格を持つ看護師です。産まれた時から波乱万丈の人生を歩いてきました。親からの虐待、夫からのDV、離婚娘は性同一性障害で息子になりました。現在は1人で趣味の筋トレや映画鑑賞と楽しく過ごしています。目標はNHKの「プロフェッショナル」に出演することです。

最近の記事

みんなの忠告を振り切って

私はメチャメチャ頑固で負けず嫌いである 小さい時に食べ物の好き嫌いが激しかった私は がんとしてうどんしか食べなかったらしい 大きくなってから母が教えてくれた 私は総婦長室に呼び出され 「付き合いと結婚はやめなさい」攻撃にあった 元夫は入院患者だったから 先輩看護師にも猛烈に反対された 夫が入院していた病名は「糖尿病」だった それも29歳で発症した1型糖尿病だ 若くしてインシュリンも打っていた この病気を持っているだけでも大変だと心配してくれたと思う ここで 私の

    • 人から愛されること

      病院で働きだして 先輩が気になっていた入院患者さんから告白され なんとなく承諾した私はちょっととまどっていた この状況は夢ではないのか? 私を好きな人はすぐ私を嫌いになるのではないだろうか? 色々な不安をよそに 9歳年上の彼は優しかった なんせ人から愛されることに不慣れだったから いつか夢だったと終わりがくるような気がしていた 私は実家が嫌いだった 早く家から出たいと思っていた 20歳までには結婚して 家を出るんだと考えていた まだ若く 世間も知らない私は 私を

      • 小学生の時の通知表

        最近断捨離が流行っていますよね 古い写真やアルバムの整理をしていたら 小さい頃の女の子らしい息子の写真が沢山出てきた まぁ 一人っ子なので赤ちゃんの頃からの写真は1か月ごとにちゃんと撮影し綺麗に保存していた その中で 小学生時の通知表が出てきた 3~4年生頃の通知表だっただろうか 担任の先生がコメントに書かれていたことにちょっとビックリした 「たまには女の子とも遊びましょう」 息子が小学生の時から2人暮らしだったため お友達の把握などしていなかったが 確かに男

        • 帰宅拒否の始まり 

          私が育ての母親に引き取られてから3年後 妹が産まれた 妹が生まれてからというもの 幼稚園に通っていた私はとにかく家に帰るのが大嫌いだった なぜなら 家に帰れば怖い母親がいる 顔を見るだけで怖くてなにもしゃべれなかった あの頃の家は集合住宅で 家族の部屋は別だが トイレは共同だった記憶がある 確か2~3世帯住んでいたと思う 部屋はキッチンと居間の2部屋 狭い所で家族4人で暮らしていた 母親が怖いからと言って自分の部屋はない と言っても私はまだ3~4歳だった 幼稚

        みんなの忠告を振り切って

          今年のお正月のこと

          ちゃん♪ ちゃらららーん♪ ちゃらー♬ 今年も無事に新年明けました(2024年1月の記事です) 昨夜は1人で行く年くる年を見て ネットフリックスで今際の国のアリスをで見て年越ししたら 腰が痛くなりました とし腰なだけに…  朝起きたら普通の日常だった でも何も変わらないこの日常  これこそが大きな幸せだと思う 今の時代 明日がくることは奇跡に近い やると決めたことは 後回しにせずに すぐにやる そして諦めない  これが私のモットーです 言い方変えれば 諦めが悪

          今年のお正月のこと

          悲しかった大晦日 

          父が生きていた頃 母がまだ施設に入らず元気な頃 私が結婚して家を出た後は 年末年始は実家で集まっていた 妹・弟・私・娘と両親 両親は寿司盛りを頼んで煮物やお惣菜を準備していてくれた 実家に行くのはだいたい夕方 みんなであつまり少し話しをした後 夕ご飯の時間になる すると決まって母は私に「ひかるは食べて帰らんやろ?」と聞いた 毎年だ  それは「あんたは食べなさんなよ」と聞こえた 「みんなで食べようや」ではない 「食べて帰らんやろ」だ うなずく私に父は 「食べて帰

          悲しかった大晦日 

          無敵への道のり

          先週火曜日から上司からの理不尽な対応やパワハラを受け私はどん底だった もう10年にはなるだろうか 私の事を何故かしら気に入らないのだろう 部署が異動になり、やっと離れたと思ったら、また同じ部署になった 火曜日 明らかにおかしいのは師長の方で しかしおかしいので話しが通じない ましてや そんな時に師長と言うポジションパワーを発揮し威嚇してくる 「こんな事言われたからと言って明日休みなさんなよ」最後の言葉がコレだった・・・  悔しかったから言われた通りに心身喪失しながら

          無敵への道のり

          今年の年末年始も(2022年 年末)

          この投稿は2022年12月のものです ご了承下さい コロナ禍で息子に会えなかった3年間 今年のゴールデンウィーク前に 彼女に振られたとはいえ久しぶりに帰ってきたので 今年の年末年始は2人で「ゆく年くる年」を見て新しい年を迎え お雑煮を食べ 初詣に行くものだと思っていた なんということでしょう… 「来年から彼女と一緒に住むよ 大晦日も一緒に過ごす」 ( ̄▽ ̄)ノ… 来年どころか 数日帰ってきていない これを猪突猛進というのか 思い立ったら即実行と言うのか そ

          今年の年末年始も(2022年 年末)

          サンタさんを信じていたあの頃

          みなさまいつも読んで頂きありがとうございます 私の投稿は、現在Wordpressから移行中なので若干投稿は季節感がずれていますので、ご了承下さい 「さて 今年もいい子にしてたから 今からサンタさんに電話してプレゼント頼もうね」 毎年12月の初めに行うイベントだった 私は毎年娘の目の前でサンタさんに電話をした 「もしもし サンタさんですか?福岡のひかるです。今年も娘は大変良い子にしていました。クリスマスのプレゼントはおままごとセットでお願いします」 またある年は「ナ

          サンタさんを信じていたあの頃

          親と子の人生の始まり 

          娘を出産後 退院した私は自分が産んだ子供に対し不思議な感覚を持った あれ?ここに赤ちゃんがいる はて 私が産んだのか? 母親は出産の痛みを忘れるために 出産後特殊なホルモンが分泌されると聞いた だからお母さんは痛い思いをして出産しても また子供が産めるそうだ 私は違った この人間は本当に自分が産んだのか? しばらく考えた ここにいて泣いている小さな人間は 間違いなく私が産んだ赤ちゃんである となると この一人の人間を育てなければならない 特殊なホルモンが分泌され

          親と子の人生の始まり 

          人生で一番最初に愛をくれた人

          息子の存在を語る上で この人のことは避けて通れない 同性の友達は沢山いたが 「愛をくれる」 と言う表現ではやはり異性である 小学生・中学生・高校生と 人並に好きな人はいた しかし 彼氏ができることはなかった 自分でも分かっていた 私を好きな人なんているわけがないと 幼少より愛されてこなかった私は 無意識にそう思っていた気がする 「カッコいい人が入院しているから、ちょっと色々聞いてきてくれる?仕事とかー彼女がいるかとか」 高校を卒業し、病院で働きながら看護学校へ通

          人生で一番最初に愛をくれた人

          視力低下

          私は好きな俳優さんがいる 我らが「佐藤 健」君だ 歳をとると 若い子が好きになると言うのは本当だ 「男の人ってさー 歳とると若い女の子が好きになるよねー」  世間でよく聞く言葉である しかし 男性に限らず女性にも当てはまると思う るろうに剣心の緋村剣心が大好きで スマホの待ち受けにしている 以前「恋は続くよどこまでも」というドラマがあったが やきもち焼くので絶対に見なかった … 気になりチラ見はしたと思う 数日前 私のスマホの待ち受け画面を見た老年期の医師が

          母親に愛されなかった初めての記憶 

          「そんなのも取れんのやったら幼稚園行きなさんな」 それは3歳の頃の記憶 物干しに干してあった幼稚園のブラウスを まだ身長も小さかった私が必死に取ろうとしていた時 母から言われた言葉だ  今も鮮明に覚えている 大人の背丈より少し高い所にそれは干してあった どう考えても幼稚園の私に手が届くはずもない かなりの形相で母は言った  どうして… 私にできるわけがない… 一生懸命に背伸びして 何度も何度もトライしてみたが ダメだった そのうち母は諦めたのか めんどくさそう

          母親に愛されなかった初めての記憶 

          性同一性障害への世間の反応

          昨年Yahooニュースで性同一性障害のことが書かれてあった なんでも 身体を変えなくても 性別の変更をして欲しいという裁判を起こしたと言う内容だったと思う 考えれば難しい問題だ 自分の子供が性同一性障害だからこそ 興味のあるニュースであった そもそも「障害」なのだろうか とも思う しかし「病気」ではない では 何だろうか?と言われると分からない その記事には沢山のコメントが書かれてあった 中でも気になったのが「性同一性障害は本人の勘違いだ」と書いてあったことだ

          性同一性障害への世間の反応

          年始の夢に出てきた母の様子

          早いもので、年始からもう20日が過ぎようとしている 年末に母の葬儀で忙しかったが、年始は一応おちついた年を迎えられた 母はなんとなくまだ病院に居る気がする。本当に顔を見るのも嫌だった母を、何故か思い出しては気持ちがもやもやするのはなぜだろうか 私は病院の上司のストレスで6年前から心療内科に通っているが、先日診察に行き、先生に母の事を話した 「やっとひと段落つきましたね。長い間辛い思いをしてきたでしょうけれど、もしかしたらお母さんもどうしていいのか分からなかったかもしれませ

          年始の夢に出てきた母の様子

          それぞれの人生の始まり

          1993年の春 娘は出産予定日ぴったりにこの世に出てきた 私は看護学校を卒業しすぐに娘を授かった 看護師免許取得後 大きなお腹で働きながら出産日を迎え 初めての経験にどうしたらいいのか分からなかった 初産の母親の気持ちは誰でも同じだと思う 親の愛情を一切受けてこなかった私は 子供を育てられるのか大きな不安があった 母性が芽生えるのか それも予測できなかった 退院前日 娘は新生児黄疸になり 24時間光線療法を行った この時が母性の芽生えとでも言うのだろうか 「かわ

          それぞれの人生の始まり