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節目?

アメリカ留学

私の人生において第1の節目はまさしく『アメリカ留学』だったと言える。
留学とはいえ、その後、日本に行ったり来たりと、
合計してみると、通算20年くらい住んでいたので
ただ単なる留学という感覚ではない。

ここでちょっとなぜ私が「アメリカ留学をしたい!」と思ったのか
書いてみることにする・・・少しずつ少しずつ。。。
いろんな思いがあるから〜。

そういえば、留学中(まだインターネットもなかった時代)
自分が体験したことを『小説にしよう!』なんていう
野望もあったな。

確か小学校の時だったと思う、高学年になるとローマ字を習う。
この時アルファベットというものはこういうものなのか・・・と
感じた気がする。まだそれほど興味はない。

そして、中学校に入り、初めて「英語」というものに触れた。
特に感激感動はなく「ふ〜ん」という感じだったと思う。

そんな頃、英語に対する、またアメリカという国に対する私の気持ちを
『これだ!』という、私の中で何かが爆発した!
全身が震えるほど、揺るぎない『何か』に衝撃が走る。
その『何か』と出会う!

それは・・・『ウエストサイドストーリー』ウエストサイド物語!
60年代を代表する映画である。今でも輝かしい功績を残し、数年前リバイバル映画ともなった・・・。が、この最新版は見ていない。

このジョージ・チャキリス、リタ・モレノ、ナタリー・ウッド主演の『ウエストサイドストーリー』は、確か、お正月に特別番組としてTVで観た記憶がある。
吹き替えにマリアが大竹しのぶさんだったことを覚えている。

なぜだ、なぜだ、なぜが、見た瞬間に衝撃が・・・
あんなふうに踊りたい、あんなふうに歌いたい、あんなふうにアメリカ人と話してみたい!

ちなみに、ダンス、曲、俳優、全てに素晴らしすぎると私は感じている!

多分、ダンス・音楽に惹かれたのは、自身がバレエとピアノ経験があったからであろう。バレエは1年半くらいで辞めてしまったが、ピアノは高校生まで続いた。

すぐにレコードを買ってきて、何回も何回も聞いていた。全ての音楽が凄すぎる。意味のわからない英語だが、マリア(ナタリー・ウッド)が歌う「I feel pretty」を、そのまま、自分の耳で聞き取れるチャンポン英語で歌っていた。
[ちなみに大人になって、あれはナタリー・ウッドが歌っていたのではないことを知り、びっくりしたと同時に悲しかった。ナタリー・ウッドご本人も実際、自分ではない、オードリ・ヘップバーンが歌う時の吹き替えの声優の方の声となり、プロデューサーに怒りをぶつけたそうだ!] それはそうだよなぁ・・と思った私であった。しかし、ナタリー・ウッドと声質が似ている。言われなければ誰もわからないであろう。

「Cool」は今でも好きだ!全身に震えがくるくらいに・・・。
『Stay Cool… Be Cool』は、今でも私の合言葉となっている。
常に冷静に・・・かっこよく。これが私の生き方そのものの・・・と言えるように毎日生きていきたいものだ。

ということで、このウエストサイドストーリー見て、私はいつかアメリカ人と一緒に机を並べて勉強したいと思ったのであった。

今でもウエストサイドストーリーは私の中で生きている・・・

続く・・・

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