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#077 身の回りのモノをキチンと整える

旅の話の続き。

「何とも楽しそうに笑うおっちゃん」の家で一泊した次の日、再び歩き始めました。これから出発することをおっちゃんに伝えると、何とも寂しい顔をしていました。周りに家のない砂漠の中の一軒家。一人で生活するには寂しいだろうと思います。


この頃、履いていた靴底が何度も剥がれ歩くことに支障を来し始めていました。この日の朝も靴底が剥がれていたのですが、靴を修理する時間が惜しかったので、道端に落ちていた車のタイヤに編み込まれているワイヤで靴底を結び付けて歩き始めました。

ドメイコという村を通りかかったとき、車の修理工のおっちゃんに呼び止められ、休憩がてら喋っていました。すると、ワイヤが巻かれているボロの靴に気が付いたのか、靴のサイズを聞いてきたので、自分の靴のサイズを伝えると、なんと、そのサイズの靴を持ってきて「くれてやる」と渡されました。新品の靴。しかも、履いてみるとサイズもピッタリ。

こんな偶然もあるものだと驚いて、そのまま去ることもできず、手持ちのTシャツをせめてものお返しに渡してから、再びある歩き始めました。

新しい靴になると、急に楽に歩けるようになりました。これまで靴の心配をして無意識に精神的な負担をかけながら歩いていたことに、後になって気が付きました。


自分では無意識で気付いていなくても、身の回りでキチンと整っていないものがあると、無意識に精神的な負担を掛けるものです。

「認知コスト」という言葉がありますが、限られた認知資源を無意識に浪費していると、必要なことに「認知=意識」が向けられなくなると理解しています。

この時は、身の回りのモノやコトをキチンと整えることで、認知の浪費を抑え精神的に楽になる、ということを体験していたのだと、今振り返って気づきました。

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