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#084 見当違いな問い掛け

旅の話の続き。

観光ビザを取り直し、12日ぶりに歩き始めました。歩き始めたときは「ようやく歩き始められた」と安心する一方で、久しぶりに歩いているからか、体がだるく「何で歩いているんだろう」と考えていました。

ラ・セレナの街は大きく、歩き始めたもののしばらく街並みが続き、そのあとは農場がずっと続いていました。泊まれそうな空き地がなかなか見つけられなかったところ、教会があったので、そこにテントを張らせてもらい、その日は休むことにしました。


振り返ってみると、この「何であるいているんだろう」という問い掛けは、気分よく歩いている時には全く考えもしないのですが、しんどくなった時にこのような問い掛けが生まれてきていました。

そう考えると、その問い掛け自体に答えを見出したいのではなく、体がだるくしんどいことから逃れるための格好の理由付けを探すための、擦り替えた問い掛けのように思えてきます。

本当にその答えを見出したいのであれば、気分よく歩いている時にこそ、この問い掛けが生まれてくるはずです。


今でも時々、仕事をしながら「何で働いているんだろう」と考えるときがあります。

この問い掛けが生まれたとき、本当にその問い掛けに答えたいのか、ただ問題を摺り替えたいだけなのか、考えてみるのもいいかもしれません。

無意識の心の底では、ただ現状から逃れたいだけなのに、意識の上で問い掛けの答えを探している。見つからない答えを探して、答えが見つからないことに落ち込む。そんなことになっていないかと気になりました。

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