見出し画像

#079 巡洋艦「和泉」と調査船「ITZUMI」

旅の話の続き。

コピアポの街を出発して12日目、ラ・セレナという街に到着しました。ゴールの首都サンチアゴまで470km。ゴールが見えてきました。

ここで、一つ問題がありました。ビザの期限が間近に迫っていたのです。チリでは、日本人は入国時に90日の観光ビザが貰えます。ところが、ラ・セレナに到着した日は、チリ入国から79日目。残り11日しかビザが残っていませんでした。


到着したその足で、街の観光案内所と警察署に行き、観光ビザの延長手続きについて聞いて回りました。ところがここでは、手続きができないということで、一度首都サンチアゴに向かうことにしました。

バスで一度ゴール地点である首都サンチアゴに行き、ビザ延長してから、またバスでラ・セレナに戻り、再び歩き始める計画です。少し間抜けな話ですが、ここまで来たら最後まで歩き切りたい思いが捨てきれなかったのです。


警察署で待っている間、偶然自分が歩いているところを見た、という人に会い、その人から船の話を聞きました。

戦争中にチリが日本に船を寄贈したお返しに、最近日本がチリに船をプレゼントしたというもの。そしてそのどちらの船の名前も「イズミ」というもの。

この時は、「へー」と思って聞いていたのですが、後で調べてみると、興味深いものでした。


時代は、1900年代初めの日露戦争直前。当時の日本帝国海軍は、ロシアと海軍力を均衡させるために、軍艦を必要としていました。そこでチリは、友好国の証として、当時近代的で火力と速力を兼ね備え、海洋探査に特化した巡洋艦エスメラルダ号を日本へ寄贈しました。

この巡洋艦エスメラルダ号は、東郷平八郎提督が率いる日本艦隊に「和泉」の名前で加わり、バルチック艦隊と相対した日本海海戦でも海洋探査能力を発揮して、勝利に貢献したとのこと。

時代は流れ、2000年代に入り、漁業分野の技術協力計画の一環として、日本は、海洋調査船をチリに寄贈しました。そしてその船の名前は、日本海海戦で活躍した「和泉」にちなんで「ITZUMI」と名付けられたようです。


チリと日本。太平洋を挟んだ地球の反対側の国同士なのですが、意外な接点がありました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?