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不倫のトモダチ 第3話:里帆さんの事

里帆さんと彼の出会いは趣味のサークルだった。
本当にたまたま出会い、そして偶然の再開をして、お互いに想いあうようになり関係が始まったそうだ。
出会いはいつも唐突で、そんな偶然の重なり合いから簡単に始まるものなのかもしれない。
そして、それぞれに家庭があったとしても想いは自分にだって止めることはできない。私自身もそれを感じていたため、「そういうもんだよな」と納得できた。

恋愛感情が生まれる基準は、生物的には本能で相手の遺伝子が欲しいかどうかで決まると言われている。純愛だ不倫だと言っても実は所詮は哺乳類の求愛行動の一つに過ぎず、変に理屈をつけるとかえってややこしくなる。例えば「どこが好きか」とかについてだが、具体的にここが好きなんて言えるわけはない。なぜなら人は本能で結ばれたい相手と恋に落ちるように出来ているからだ。もちろんそこには相互にそう思うための駆け引きみたいなものが介されるが結局は、そこに行きつくのが当然の結果である。
だから、かつての「婚姻するまで純潔を保つ」なんていう歪んだ風習は失われ自由恋愛の形式が生き残ったのだ。現在のルールになったのにはきちんと理由があり、必然的にそうなったと言える。
しかし、この必然性に守られている現代の恋愛において私がいまだ歪んでいると感じる点はもう一つある。

それが結婚制度だ。
世間の人からの批判が聞こえてくるような、無理やりな論理展開だがはっきり言って「結婚制度なんてやめちまえ」というのが私の持論だ。
だって無理に決まってる。むしろ不倫などの多重恋愛を防ぐことが本能的に無理だから仕方なく出来た制度だと私は思っている。生物の本能を考えれば、人生80年の内、一人の相手としか恋愛関係を築いちゃいけないなんて無理があるに決まっている。現に生まれて30年以上生きているが、恋愛関係になった人の数は片手で数えられないほどいる。片思いやもっと短絡的な関係を含めればその数はもっと増えるし、自分の人生がそれを体現している。
はっきり言えば、私はいまだに知り合う相手を「いい女」かどうか見極めながら自己紹介をしていると断言できる。もちろん、だからと言って手を出そうとするほどサルのようではないし、うぬぼれてもいない。
(私が既婚者である点を考慮すれば世間的にはクソ野郎なのは言うまでもないが(笑))

全然話は逸れてしまったが、冒頭で述べたようにこの友人の恋愛関係が既婚者同士で始まったことは全く持って不思議とは思わないとだけは強く言っておこうと思う。
二人はただ偶然が重なり、恋をした。そしてそれがお互いに想いあえたというだけの話で、たまたま既婚者同士だったというだけだ。
そしてなんとそこから数年関係を続けて、今に至る。(すごく羨ましい。)

そしてこの二人の穏やかな時間に歪が生まれたのはごくごく最近の事である。
だが、この二人の詳細を事細かには書かないでおこうと思う。なぜなら私にとって里帆さんはとても大切で、まさに「かけがえのない人」なのだ。まだ会ったこともないのに私は人間として彼女に惹かれている。今では彼女からの連絡を待ちわびるほどに。そのくらい大切にしたい友人であるため詳細を全て書くことはできない。万が一にもこのnoteを見て彼女が自分の事だと分からない程度にフィクションを交えるつもりだ。
なのでここからの話は詳細は伏せ、彼女の葛藤や想いについて私が感じたことを中心に書くことになると思う。
それでもよければこれからもお付き合いいただけると大変うれしく思う。

そしてなぜ私が彼女にそれほど惹かれているかというと、実は橘さんとの別れの後、いてもたってもいられなかった私はあろうことか知り合ったばかりの里帆さんに己の心の内を話していたのだ。もっと非難されてもよいような恋愛の話や別れまでのことを里帆さんは否定せずに聞いてくれた。それどころか私の彼女への想いまで理解を示してくれて、立ち直るまでの間支えてくれたのだ。今の私が趣味で自転車を買ったり、薪ストーブで焼き芋を焼いたりできるまでに回復したのは、彼女とのやりとりに救われていた部分が大いにあるのだ。

結論から言えば、里帆さんは彼とこのまま続けるか離れるか悩んでいる。
そして、その理由は先に述べた生物の本能的な部分に影響される事柄が関係している。それは次回、少しだけ話してみようと思う。

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