【エッセイ】鋸山はどこからどう見たら「のこぎり」なのか −前編−
この独りよがりな随想を、いつも一人じゃないと思わせてくれる友人に贈ります。
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"幼なじみ"
親友でも、相棒でも、運命の人でもない。
何冊か辞書をめくってみると、幼い頃に仲良くしていた人を幼馴染と定義付けるようだ。現在の親交の有無は、どうやら関係ないらしい。
一般的にみてどうかはさておき、私には幼なじみだと思っている相手がいる。私は彼女を「もっさん」と呼び、彼女は私を「なーさん」と呼ぶ。この呼称は二人だけのものだ。
同い年で、(たしか)2歳のころ出会い、徒歩30秒の家に住み、幼稚園から高校まで同じところに通っていた。そうか、もう23年の付き合いになるのか。
私達を見た人はまず、その関係性を積極的に誤解する。つまり、ある人は「かわいい姉妹ね」と言い、またある人は「仲のいい親子ね」と言う。二人の関係性が定かでないうちはもう少し慎重に言葉を選んでくれたらいいものを、この町の住民は思い思いに勘違いしてくれるのだ。
「あー実は同級生なんですー、よく間違われるんですけどそれも嬉しいです。」
相手がばつの悪い思いにかられないよう、表情と言葉選びに注意を払いながら訂正する。そしてペコっとお辞儀をし、下げた頭でふふっと顔を見合わせ、お揃いのしたり顔を携えて歩き出す。
「また姉妹だと思われたね、もっさんがお姉ちゃんかな。」
からかいながら言うと、もっさんはきまって私の冗談にのってくれる。
「そうだね、どう考えても私の方がなーさんより年上に見えるもんね。」
この一連の会話がおかしくて好きだった。知らない人に勘違いされ、私がもっさんをからかい、もっさんがそれに応じる(そしてちょっと怒る)。車道と歩道の区別がない田舎町で二人、長さの違う影を落としてけらけら笑いながら歩いていく。夕日を全身で受け止める私は168センチ、その影に隠れて私を見上げるもっさんは145センチ。何かのアニメに出てきそうな、名コンビだった。もちろんアクション系じゃなく、ゆるゆる系のアニメね。
この移動式ゆるゆるアニメが出没すると、おおむね平和な双葉町はどこからどう見ても平和な町へと変身するのであった。
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"学校でのふたり"
近所では名コンビだった私たちはしかし、学校で交わることはなかった。それは避けていたわけでもなければ、学内では話さないようにしようと約束したわけでもない。
小・中・高の12年間で同じクラスになったのは、小3の一度きりだ。同じクラスになれたことを喜んだ気もするけど、それはなんていうか、ふと地面をみると綺麗な花が咲いていた時のそれに近い。ささやかな出会いに頬が緩んでしまうのも束の間、2秒後にはそのことを忘れて目的地まで歩き始める。
だからそう、同じクラスになっても別の友人と過ごしていた。もっさんはあくまで「クラスメイトの一人」という感覚だったし、担任の小手川先生も、隣の席の春香ちゃんも、当時好きだった奏多君も、まさか私たちが古くからの付き合いだなんて思いもしなかっただろう。難解なピアノを弾いて周囲をわっと驚かせる森田さん(もっさん)と、休み時間になると校庭に飛び出しては砂まみれで帰ってくる菜子ちゃん(なーさん)。
二つでひとセットになっているあのチューブ型アイスみたいな私たちは、ひとたび学校に入るとパキッと離れて、ピアノ少女森田さんとドッジボールプレイヤー菜子ちゃんとして別々のグループに吸い込まれていくのだ。
仲良し姉妹(または親子)だとして道行く人を和ませる私たちが、どこからどう見ても交わる要素のない二人へと変身する瞬間だった。
つづく
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