見出し画像

ニコニコ生放送と滴る雨粒

ニコニコ生放送の勉強系のジャンルは、
生主と視聴者が作る不思議な空間があった。

ニコニコ生放送は、ドワンゴが提供している
ニコニコ動画の一部サービスである。

生主は生放送のオーナー(主)を示す。
ニコニコ界隈は独特な略語に満ち溢れていた。

勉強放送。

なにも喋らない、特に生主への質問もない、
ただ手元の動きと鉛筆の音だけの空間。

ただ、放送開始とともに人が徐々に集まり、
鉛筆音を聴きながら、勉強するのである。

周りは見知らぬ人なのに、
生主も見知らぬ人なのに、
何で引き込まれていったんだろう。

例えば、現在の視聴者数の数字を見て、
こんな皆んな頑張ってんだ。僕も頑張ろ。
と思った事は覚えている。

ただたまにある
こんなコメントを見ると
ほっとした。

視聴者1. 昼飯食いに一旦席外そっと。

コメントは生主も視聴者も
自由にコメント出来る。

誰に当てているのかも
分からないメッセージ。

質問でも何でもない。

視聴者2. カレー食べに席外します。
視聴者3. 洗濯物干してきます。

バーチャルな生放送のコメント欄に
一人一人の日常が詰まってて
そこに温かみを感じていた。

この不思議な感じに惹かれていた。

一緒に勉強しているだけで、
謎な絆が発生していて、
その人の日常を垣間見ることで、
仲間の存在にほっとする。いるんだ。

この人は日本の何処で、
カレーを食べてるんだろう。
また、洗濯物干してるんだろう。

このNOTEだってそう。どこの誰かも分からない人の投稿。
けれど、みんな世界のどこかで書いていて、どこかで生きている。
この存在していないようで、存在している感覚が好き。

昔、高校生の時、
生放送をやった事がある。

どうも、チェラプンジです。
何故この名前にしたのだろう?
インドの地名で、世界で最も雨が降る地域らしい。

WEBカメラとマイクだけで
簡単に初められた。

勉強しつつ、何か雑談をした気がする。

何を喋ったのかは覚えていない。
ただ、ぎこちなくコメントを拾って、
必死に会話を繋ごうとでもしたのかな。

放送は何回かして辞めた。

別に自分が主役として、雨を降らしたいんじゃない。
自分も雨粒の一つになって、脇で滴る他人という雨粒を見つめたいだけ。

人生を雨粒で例えるとしたら、
滴れる時間は積乱雲から地面に叩きつけられるまで。

みんな知らない場所で滴ってんだなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?