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トッツィー感想━差別内面化ギャグとクリティカルなギャグの闇鍋、どうかちゃんと伝われ

 日生劇場で上演中のミュージカル「トッツィー」を観劇しました。ショービズを描いた作品ならではの楽しさあり、人気キャスト陣の体当たりパフォーマンスあり、観客が日常でぶち当たる壁にパンチを喰らわせてくれるスカッとシーンありのとても楽しい作品でした。一方でこれはもっとこうだとよかったかも、と思う箇所もたくさんありました。

やっぱりショービズ界が舞台の作品は最高に楽しいよね

 私はミュージカルにしろ映画にしろショービズ界が舞台の作品にめっぽう弱く、だいたい節操なくハマります。「ジャージーボーイズ」も、「ドリームガールズ」も、「ララランド」も、「グレイテストショーマン」も、「ボヘミアンラプソディ」も大好きです。トッツィーも例外ではなく、それはそれは楽しかったです。

 今作での「ショービズ」と「その裏側」の対比の表現でもっとも面白かったのは、大道具でした。劇中劇やリハーサルのシーンでは、舞台セットが良い意味でわざとらしいほど平面的な書き割りであらわされます。一方で、プライベートのシーンではセットが立体になります。生活感に溢れるソファーやクローゼットや冷蔵庫が置かれます。しかも、平面的な書き割りを開いたら生活感溢れる部屋になったりと、場面転換もシームレスなのに印象がガラッと変わるのです。

 大道具の変化でビシッと視覚的"メリハリ!"をつける一方、「裏切らない」「お別れ」といった劇中劇の曲の歌詞が登場人物たちの状況と見事にダブります。冒頭のシーンも、「トッツィー」の劇のワンシーンなのか劇中劇なのか観客にはわからないまま始まって主人公が登場したところで種明かしされます。 

 ブロードウェイの街並みの書き割りや、シーンの転換時にあらわれる煌びやかな衣裳を着たダンサーたちに彩られる舞台は、まるでディズニーランドのショーみたいでとっても楽しかったです。マイケルとジェフの家やジュリーの家のシーンでは演劇らしい間の取り方がおもしろく、舞台裏とショーのシーンで見事に2度美味しいのにさらにつながりが綺麗な作品でした。

 大好きなナカサチさんこと中原幸子さんによるお衣裳も最高です。もちろん、劇中劇の舞台衣裳も素晴らしいのですが、特に素敵だったのは愛希れいかさん演じるジュリーと、昆夏美さん演じるサンディの私服です。おふたりの魅力とキャラの魅力を増幅させる、リアリティと華やかさが両立した最高の衣裳でした。ナカサチさんのお衣裳、いつももはや自分が着たくなってしまうくらいかわいいです。

問題提起と解決があいまい……コメディだから?

 ストーリーもおおむね楽しみました。ただ、少しわかりにくいと思ったシーンもいくつかありました。

 主人公のマイケルは、なんでも周りのせいにする仕事のない中年男という面が強調されて登場します。ああ、この男が何らかの出来事で自分のことを省みて素のすがたで役を掴んだりするのかな、なんて思いながら見始めました。

 しかし、展開が若干飛躍的でした。自己中でプライドが高くて人の話を聞かないイヤな中年男が女としてオーディションを受けるに至るのもちょっと唐突に感じました。また、マイケルは別に「女は楽だよな」みたいなことは言っていなかったし、ただ依存気味の元カノに若干困らされていた以外の女性との関わりは描かれていませんでした。なので、マイケルがジュリーの立場を理解したいと考えるようになるまでの心情変化がいまいちわかりにくかったです。

 ただ、展開の唐突さや突拍子のなさはコメディのひとつの手法だと思います。なぜかヘンなことをし出した人に理由を聞いてみると、前のシーンでの出来事が繋がっていたとか、過程を一旦飛ばしておもしろくするのはアリです。なので、こういった感想はわたしのコメディ経験値が足りなかったことによって感じたことかもしれないと思いました。

 とはいえ、たまたまジュリーが感じているガラスの天井を破るきっかけになる突拍子もない脚本の変更を思いついてどんどん仲良くなってしまうのは全然おもしろいのであっていいのですが、その後のマイケルの心情変化や気づきはもう少し丁寧にやってほしかったです。

 もし、コメディ手法かどうかはおいておいて、このストーリーに少しわかりやすい軸を作るのであれば、たとえば、これだけ男2人の会話と女と女(仮)の会話のシーンがたくさんあるのだから、男同士の関わり方と女同士の関わり方を対比させてみてもよかった気がします。稽古や舞台本番のシーン以外のほとんどはマイケルとジェフがバカ話をしているか、ドロシーとジュリーが2人で過ごしているかですし。

 マイケルはジェフの忠告を聞かないで突っ走り、いろいろな状況がまずいことになってからジェフに「誰かが忠告してくれればよかったな」と皮肉を言われたりします。一方で、ジュリーはドロシーを"わかってくれる人"認定して、他の人には言えない話をしてくれます。

 前述のジェフのセリフがあったり、マイケルのセリフに「女はお互いの話を聞くんだぜ」というのがあったり、いちおう対比はされていますが、もっと深掘りできるような気がしました。男同士の連帯や男らしさから降りることを描いて他責中年男マイケルの問題を解決する端緒にすることもできたのではと思います。

 マイケルは、仕事がうまく行かないのはなにもかも周りが悪いと思っているにしては20年近く仲良くしているルームメイトがいるし、お互いの悪いところを指摘し(改善もしないし言うことも聞かないのですが)あったりけなしあったりなんだかんだ協力してもらったり「男同士でちゃんと仲良くできてるやん」というふうにも見えてしまうのです。

 一方で、ただジュリーを好きになってジュリーの話を聞いていればちゃんと女優の立場の悪さに気づけるようなタイプにも見えません。実際、クラブで歌ったジュリーに近づいたときのマイケルは「さんざんドロシーとしてジュリーと関わったのにそれかよ」というような口説き方をします。

 原作映画を見れていないのですが、原作の筋を残したまま現代に即したテーマを無理やり入れたようにも見えました。

ローカライズするところ、そこかなあ……?

 前述のような、ストーリー上のわかりにくさに加えて、日本人の感覚だと微妙にわかりにくい背景がちょこちょこあるように思いました。そもそも、「トッツィー」って意味、ご存知でしたか?わたしは全く知らなかったです。

 ミュージカルには誕生した文化圏のままの言葉で輸入されていてイマイチ伝わりにくいものもたくさん(たとえば「ウエストサイドストーリー」など。ニューヨークにどんな地域があってそれぞれどんな住民がいるのかばっちり知っている日本人は多くないかと思います)ありますが、こういうものは劇中のシーンの説明だけに任せず、宣伝とかの段階でもうすこし観客に共有しておいたほうがいいと思います。パンフレットを読んでも、後ろの方の映画ライターのコラムにしか「トッツィー」の意味の解説がありませんでした。

 一方で、訳詞のなかに日本のことわざが出てきたり、日本独自のことば(発声練習の「あめんぼあかいなあいうえお」など)が使われて、日本人がクスッと笑えるようにアレンジされている箇所も見られました。当然これらはブロードウェイ版では現地らしい言葉が使われているでしょう。こういった置き換えができるなら、もうすこし「トッツィー」の意味をわかってもらった上で客席に座ってもらう努力をしておいてもよかったような気がします。

日本のミュージカルの客層との食い合わせが気になる

 ミッドタウン日比谷ちかくの交通広告には「この笑いはとめられない」というキャッチコピーがでかでかと書かれ、開演アナウンスではドロシーが「とにかくみんなに大声で笑ってほしいの!」といったようなことを言っていました。

 そんな今作でもっとも笑いが起こり、かつ、もっとも肝を冷やす人が多そうな要素が、性差や性的指向をネタにしたギャグです。たとえば、ドロシーを女性だと思い込んだままマイケルではなくドロシーにジュリーが迫るシーン。自身はレズビアンじゃないから、とやり過ごそうとするドロシーに対してジュリーが「私もよ!」とさらに迫ります。ドロシーは「あなたはなろうと思えばなれるわ」と返すのですが、ここで大きな笑いがおきていました。

 一方で、日常に潜む差別や偏見、ガラスの天井をチクリと指摘するようなギャグもあります。ジュリーに手を出そうと狙っている男性演出家のロンが、ドロシーに芝居の設定の変更を提案されて喚き散らしながら「ヒステリーを起こすな!」と言うのです。これに対し、女性プロデューサーやその他のキャストたちがドロシーの味方に立って演出家をやりこめます。つまり、なぜか「男性は論理的で女性は感情的」というような言説がまかり通っていて、女性の意見が必要以上にヒステリックなものとして受け取られたり、あまり根拠のない男性の意見が通ったりすることに対する風刺です。

 こういった、性質の違うギャグ両方におなじくらいの笑いが起こっていました。この笑いがどこまでなにを感じ取っての笑いなのか気になりました。ちゃんと「男の方がヒステリックなのにね」というところまで気づいての笑いか、エハラマサヒロさんの体当たりっぷりがおもしろくての笑いなのか、判別できませんでした。

 私は古い作品にしばしばみられる差別意識を内面化したギャグを必ずしも抹消する必要はない、むしろ前時代的な差別用語が消されることで理解されにくくなる作品の骨子やポジションがあると思うので、消さないでほしいと考えています。ただ、気になったのは、日本のミュージカルの客層とこういったギャグの食い合わせです。

 東京で東宝やホリプロが主催するミュージカルを見ると、だいたいどの作品も同じような客層です。圧倒的に女性が多く、年齢層だと40代以上が多いです。お休みの日にミュージカルを見に行く余裕がある生活をしている中高年の女性が中心になります。この層は、しばしば世間の変化に鈍感です。

 たとえば、ミュージカルファンの間で宝塚歌劇団にまつわる議論を発端にカンパニーの中のパワーバランスに関する話題が盛り上がった際のこと。比較的中高年女性のファンが多い宝塚界隈では、上級生と下級生のパワーバランスの偏りによっておこる問題についてあまり理解できていなさそうな様子の投稿を数多く見受けました。

 どんな構図で、どんな人々の尊厳が踏み躙られる危険があるのかということについて、ミュージカルを見て気づくためには土壌が必要です。「トッツィー」は、ミュージカルの客席の大部分を占める中高年女性の心に寄り添える部分もあるし、彼女らが下の世代をはじめとする他の属性の人々の立場を理解する一助になる要素もあります。ただ、そこに至るには客席に座ってセリフと歌詞を追うだけではうまくいかないように思いました。今作と今作の周囲にある宣伝やパンフレットでは少々サポートが心もとなかったです。あろうことか、誤解をうむような事態もありかねないなと感じました。

 特に誤解を生みかねないと思ったシーンのひとつは、先ほども言及した、ロンがヒステリックに「ヒステリーを起こすな!」と喚いた直後のシーンです。女性プロデューサーのリタはドロシーの意見でよりおもしろくなった、と賛成します。その際、「賢い人の意見に乗る、とくにそれが女性の意見なら」というようなことを言います。

 これは、なにも男性が男性だから排除されたというわけではないと思います。ロンとキャストたちのパワーバランスや、あの年齢で成功した女性プロデューサーとして仕事をしているリタのこれまでの道のりに思いを馳せると、今こそ!と女性たちが連帯を示したシーンとして読み取れるかと思います。しかし、あまりそういった背景に想像が及ばないと、「逆差別」などという危ない言葉を使ってしまうのではないかと感じました。

 作品自体にはしっかりメッセージ性があり、たとえばマイケルとジュリーがくっつくような安直な終わり方をしない、マイケルが綺麗に許されるわけではない展開などとても評価できると思います。今作をみた1人でも多くの人が、笑いが起きたシーンではなぜ笑いが起きたのか、それは弱い者を笑ったり誰かを貶める笑いではなかったかといった部分まで考えてくれたらいいなと思いました。

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