7/4日記 Fireworkにちなんでムーランルージュのこと


 アメリカ独立記念日ですね。Katy PerryのFireworkと、絶賛帝劇でこの曲を熱唱中のサティーンたちのことが思い浮かびます。このシーンはもともと映画版ムーランルージュ(というかユアンマクレガー)のファンとして、ミュージカル版ムーランルージュを見て1番びっくりしたシーンです。サティーンが全然違うキャラになっている!しかもミュージカル版の方が好み!

 映画のサティーンはムーランルージュなんか出てやる、女優として成功してやる、っていう野心家でした。ミュージカルだとFireworkに当たるシーン、映画ではOne Day I'll Fly Awayという曲をサティーンは歌います。あのシーンが好きだったから、まさかサティーンがジドラーや他のショーガールと連帯し、彼ら彼女らを守ろうとする"ママ"なキャラクターになっているのに本当にびっくり。ニニはすごくいい子になっていたし、キャンプで荒唐無稽でド派手なムーランルージュの世界観にあらわれるハートフルなシスターフッドでいいメリハリがついていました。

 ただ、それはそれ、これはこれというか、私は望海サティーンには映画サティーン的なサティーンをやってほしかった…!とも思い。キャストが決まった時、望海さんはすごくニンだと思いました。蓋を開けてみると、ミュージカル版サティーンは平原さんにものすごくピッタリでした。望海サティーンも当然素晴らしかったけれど、One Day I'll Fly Awayを歌ってほしかったよ〜〜〜〜!ずっとこの曲を歌う、どこかこの後の死を予感させる儚げな望海サティーンをずっと想像していたんです。

望海平原は本当に素晴らしいダブルだと思います。芝居の望海、爆発歌唱の平原。ものすごく印象に残りました。そんな去年のムーランルージュ体験を経て、ミュージカルジョジョを見た時、ジョナサンの有澤松下のダブルがものすごく望海平原にオーバーラップしました。芝居の有澤、ドライブ歌唱の松下。曲とセリフがシームレスでストーリーテリングに重きを置いたミュージカル歌唱か、曲の瞬間パッとスイッチが切り替わりどこまでも気持ちよく曲に溺れられる歌詞か。なんて二度美味しいすばらしいダブル。人気曲をならべたジュークボックスミュージカルや、ドーヴアチアミュージカルにあまりにも合った奇跡のようなダブルでした。

 話が逸れますが、今年のムーランルージュでどうしてもモヤモヤしたことがあったのでこの際書いておきます。劇中の拍手についてです。下書き放出〜〜

 今作最大の魅力は観客自身がムーランルージュの客の気分でキャバレーのシーンを体験できることかと思います。劇場の前に着いた瞬間から、劇場をあとにするまでの非日常感が他のどの作品よりも強いです。開場中から夢見心地でいられます。もちろん開演してからも、ミュージカルムーランルージュの劇中のパフォーマンスとしてではなく、ムーランルージュというキャバレーの客として客席全体で同じ時を共有している感覚が演出されています。どんなミュージカルでもそうですが、客席の反応もある意味作品の一部として観客全体の体験に干渉します。それの良さと、ともすれば悪さを他の作品よりも感じやすいのがムーランルージュです。

 去年はどうだったか覚えていないのですが、今年観劇してどうしても「そこ、拍手する…!?」と思ってしまった箇所がありました。1幕冒頭、プレショーから開演につながる、クリスチャンの登場です。観客とおなじようにムーランルージュに迷い込んでその豪華絢爛さに圧倒されているボヘミアンの青年の登場に拍手が起こることに、どうしても違和感を持ってしまいました。

 開演前、客席の観客は、場内の真っ赤な光と音楽、プレショーである種酩酊状態のようになります。まさにムーランルージュのいち客のような状態の観客の目の前に現れるクリスチャンは、「クリスチャン役の俳優」としてではなく、同じく派手で非日常で欲望が渦巻くショークラブに迷い込んだ見ず知らずの客、無名のボヘミアンとして迎えたほうがいいのでは……と思うのです。

 ミュージカル「ムーランルージュ」には、M2「Truth Beauty Freedom Love」の前や2幕冒頭など、クリスチャンが語り手として物語から分離され、客席に語りかけるシーンがいくつかあります。これは、映画版にある作家クリスチャンがタイプライターを打ってサティーンとの恋の物語を記しているシーンからの踏襲と思われます。プレショーの後、ジドラーでもLady M'sでもなくまずクリスチャンが登場して物語の幕を開ける役を担うのは、まさに「この話の語り手はこのクリスチャンですよ」という、本のページを開くような演出です。

 すると、あの冒頭のクリスチャンはサティーンを失ってしばらく経ち、また曲を書き始めてサティーンとの物語を語っているクリスチャンと、パリに降り立ったばかりで豪華絢爛なムーラン・ルージュに迷い込んだクリスチャンの2つの顔を持っているのだと思います。どちらにせよ、観客に拍手で迎え入れられるような存在ではないはずで。プレショーに登場したパフォーマーやシルクハットの客たちとは明らかに異なる足取りで舞台にあがるクリスチャンに拍手が起こるのがどうしても違和感が拭えないのです。人気スター井上芳雄や大注目の若手スター甲斐翔真をクリスチャンにするには観客の態度が必要不可欠なのではないかと思うのです。スターを拍手で迎え入れることではなく、クリスチャンをいち客や未知の作家を見定めるような態度で迎え入れる方がリスペクトというもんじゃないかと思ってしまうんです。

 また、ショーのシーンでは拍手が大いに盛り上がります。それはとても楽しくて大変結構なのですが、音楽を聞いての拍手というよりは出演者が日々SNSやカーテンコールで「盛り上げてね」というコミュニケーションとしての拍手に感じます。特にBackstage Romanceの最後の「Ra-ra ah ah ah」では出演者たちは裏拍手拍子をしているのですが、観客は割とそのまま表拍を打っていました。音楽に乗って自然に出てくる拍手というよりは、好きなスターの舞台を盛り上げてあげるための拍手といった感じに思えるのです。

 星組RRRのナートゥやKinky BootsのSex Is In The Heelなども同じことを感じました。また、先日見た浅田真央さんのアイスショーの「ボレロ」でも思いました。あの曲調に合わせた滑りを最後まで息を潜めるように見るのではなく、ジャンプやスピンを技として切り離して拍手する慣習にどうしても、えええ…!!曲!曲聴いて!!!と思ってしまいました。

 ガラッと話を変えます。今日の日記に話を戻します。寅子のキレに反発している人をかなり見つけてびさあっくりしました。最後の仕事が尊属殺の判決で、これまでの実績も色褪せるほど落胆、自信喪失した穂高先生は穂高先生で痛々しかったのですが、やっぱり"そこにいたのに忘れられた人"の存在を透明にした上で必要な犠牲だったかように言うのは許せない、というところにすごく共感しました。自殺者が出てもほとんど変われなかった宝塚歌劇団を思いだしました。あんなに大きな事件が雨垂れにすらなっていないので例えとして相応しくないかもしれませんが。去ってしまった人の存在が、数が、確かに何かに影響していたとしても、その人はもう去ってしまった。そういうやるせなさを理解する前にヒロインに「スン」を求める視聴者が多くてかなりがっかりしましたし、それを浮き彫りにする作劇がすごいなと思いました。

インティマシーコーディネーターを入れて欲しいと俳優にいわれたのに入れなかった映画監督が炎上しているのをみてちょっと感動しました。3年前にはそんな言葉誰も知らなかったはずなのに、インティマシーコーディネーターという仕事が認知され、必要なものだと認識されている。世の中がちゃんと進歩しているのでは!?と思いました。当事者にとったら不謹慎な言い方で申し訳ないのですが。

日本人インティマシーコーディネーターのひとり、浅田智穂さんは、もともとミス・サイゴンなどの現場で通訳をしていたそうです。HPに書いてありました。あの年端の行かない子どもに、銃を向けられなり親が自殺する役をやらせる創作現場のコミュニケーションを見てきた人がこういった資格を取るということに、すごく納得しました。

↓ちょっと気になる資格だなと思って調べたらハードルが高すぎた

https://www.blanket-inc.jp/file/entry.pdf

アニメベルばらが決まって以来TLにやたらとオスカルの話題が流れてくるのでうちにある文庫版のベルばらを引っ張り出してきてしまった。おもしろい。

週末に結婚式ほどではないけどちょっとカチッとしたおめでたい場に行くのにいいカバンがない。最近の20代後半女性ってどんなカバン持ってるんですか……?

中田敦彦と蓮舫さんが話してる動画を全部見た。いいなーわたしも蓮舫さんに投票したい(都民じゃない)。

AIが英語の発音を採点してくれるELSAっていうアプリをはじめてちょこちょこ続けている。

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