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短編エッセイ集 〜帰国子女のボクが見た日本〜


ボクは、帰国子女。
小学生の頃はほとんどドイツで過ごし、
中学生になった時に日本へ来ました。

そんなボクが日本に来て印象に残っているお話を書いてみました。


テレビいつ買うの?おじさん


「テレビいつ買うの?」

先生は面談の度にそう尋ねた。

よっぽど不思議だったんだと思う。
中学一年生の家にテレビがないなんて。



ボクの家には、テレビがなかった。

ボクは帰国子女で、ドイツから帰国したばかりだったから。

そんなボクを先生は不思議そうに見つめる。

「テレビいつ買うの?」

いや、学校の面談なら、もっと大事な質問あるんじゃない?って思いながらも、「買いました」と言うまでずっと聞かれ続けるんじゃないかって思う勢いで、面談の度に聞かれた。今となってはこれ以外何を話したか覚えていない。

そうは言っても先生、テレビを買うかどうかはボクのお金で買えないし、ボク1人のものじゃない以上、ボク1人で決められる話でもないよ。それに、そもそもボク自身がテレビの必要性に気づいていないんだ。

「6年くらいテレビがない生活をしてたから、
今どんな番組があるかもわからないし、
芸能人もよくわからないし、
見たい番組すらないです。」

そんな人は珍しかったんだろうな。

どこの国であっても帰国子女共通だと思うのだが、日本の番組は基本見れない。見れてもNHKくらい。

だから、ドイツにいた時のクラスメイトの口からそもそもテレビの話題が出てこない。
みんな知らないし、見てないから。

今はスマホもあるし少し状況が変わってるかもしれないけれど、当時ブラウン管テレビも残っていて、一部の人がガラケーを持っていた時代。

日本のテレビを見ようと思う発想すらない。


「テレビ、やっぱりあった方がいいんですかね?」


結局、日本に来た一年目が終わる頃にテレビを買った。緊急なニュースが入ってこないんじゃないかと判断して。



給食の中で好きなメニューは?

よくある質問だと思う。
おそらく小学生の頃、給食だったのだろう。

給食のメニュー何が好きだった?で盛り上がっていた。

でも、振られてもわからない。
給食食べたことがないから。

ボクの学校は、お弁当だった。
給食?見たこともない。

でも、なんか食べてみたくなって、
大学4年生の時に公立小学校の一日アシスタントをやって初めて給食というものを食べて感動したのはまだ先の話。



放課後の掃除って生徒がやってるの?

放課後の掃除といえば、ハウスマイスターさんが掃除してくれていたから、児童のボクたちはといえば、机の上に椅子を上げて帰ることだった。

背もたれがある木の椅子だったから、2人用の長机の上に、
椅子の膝が振れる部分と、肩が振れる部分を机に触れるように斜めに立てかけ隣の人の椅子と交差させる。


それだけだった。

給食の当番なんてものも、
掃除の当番なんてものもなかった。

ハウスマイスターさんは、
日本の大学に行ったことある人だったら、
大学を掃除してくださっているスタッフさんを思い浮かべてもらえるとわかりやすいかもしれない。
学校掃除専門のスタッフさんがいるイメージだ。

唯一あったのは、
小学6年生になった時に、お世話になった教室を掃除しましょうっていう日があって、その日だけみんなで大掃除をする。
ボクは1年生の時使っていた部屋を掃除したのを覚えている。

それだけだった。


だから、日本の学校に通い始めた時、掃除当番とは何をするのかわからなかった。

黒板を綺麗にしたり、
ゴミ袋を交換したり、
床を自由ほうきでゴミをまとめたり…

そんなことをするんだって驚いた。


日本の学校はみんなあるんですかね?


生徒(児童)だけで学校に行くの?

日本では基本学校に行く時は子供たちだけでくることに驚いた。

でも、きっと周りのクラスメイトはこう思っただろう。

「え、1人で学校に通ったことないの?」

と。

能力的にはあるのかもしれない。

けど、ここは外国だ。

いくら
この街が自分のルーツの一つだと言っても、
この街が故郷だと思っていても、

周りから見たらドイツから見たボクたちは日本人であり、外国人だ。

だから、小学生が1人で学校に通うなんてありえない。

ボクは車通学だった。人によって歩きだったり、電車だったりするけれど、
日本の学校のように近くの人と集団登校とか、
1人で電車乗り継いで学校に行くとかありえなかった。

だから、日本のことを知らない外国人と同じくらいの知識しなかったボクが、
いきなり見知らぬ土地・日本で、1人で電車とバス乗り継いで行くのはなかなかに難しかった。

日本の電車は時刻表通りに動いていて、遅れていたとしても、どこでどんなことがあって何分くらい遅れていて、いつ頃来そうなのかアナウンスしてくれる日本には驚いた。

当時のボクが住んでいたドイツといえば、
一応時刻表は存在するけれど電光掲示板はないにも関わらず、電車はそれを目安にくるくらいにしか来ないから、遅れているのかどうかもよくわからない。どこの電車が何分遅延してるかなんてわからない。

バスなんて、電光掲示板ないのに、
早く着いちゃったら時刻表より前でも通り過ぎていっちゃうし、
遅れても何も言わずに通り過ぎていっちゃうから、
来たのかどうか、次いつくるのかわからない。

面白い。

ずっと路面電車に乗ってたし、路面電車しかなかったから、最初、日本の電車の走るスピードには驚いた。

え、新幹線か何かですか?って感じ。
でも、新幹線はもっと速いって言うからもっと驚き。


日本に行ったあと、ドイツに遊びに行ってみたら、
電光掲示板ができてて、通り過ぎたのかどうかがわかるようになってて感動したのは少し先の話。


あなたならどう答えますか?

ボクがドイツにいた頃、
生まれた場所と育った場所が同じ人はほぼいなかった。

それは、ドイツで生まれて、そこから10年前後ドイツに住んでいたことになるから。

親の仕事の都合でドイツに来ることが多いクラスメイト。
10年同じ場所にいるのは結構長い。

10年以上同じ場所にいるのがどれくらい珍しいことだったかというと、
ボクの代は、小学校入学し、その学校で中学卒業した人はたった1人だった。

小学1年の時には3クラス、中3は1クラスか2クラスだけど、1学年10人〜20人はいる。

その中でたった1人だ。


だから、日本に来た時、生まれてから一回も引っ越したことがないのがマジョリティだと知って驚いた。

生まれた場所=育った場所=出身なのですか?

だから、日本に来てからよく自己紹介であるこの質問に苦戦した。

「どこ出身?」

色々悩んだ結果、今のボクはこう答える。

「ドイツだよ。」


なぜなら、出身というのは、本当に生まれ育った場所かどうかが重要なのではない。
その後の話を盛り上げたり、自分のことを覚えてもらうためにする質問だと気づいたから。






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