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#1 創作大賞感想 〜忘れられないティータイム 〜
このnoteを読みました。
コージーに、書くねって言いながら書けてなかった「あなたのnoteを読んで思った・感じたこと」のnoteを書いてみようと思います。
コージーのnoteでは珍しく?笑
旅の中で自分が感じた「人の温かさ」と、
「コージーの表現や思考から生まれている余白」
があるnoteだと思いました。
ボクは表現からその人らしさが出ていれば出ているほど素敵だなあって思います。
ボクがこのnoteで気に入った表現を引用して紹介します。
こういう意味で俺は表現したんじゃないよってところがあるかもしれませんが、
あくまでこのnoteを読んだ時のボクの感想であり、解釈であり、想像なので、一感想として読んでもらえたら。笑
「応援と、創作大賞を書くエンジンをくれてありがとう。」の気持ちを込めて。
砂糖は溶けることなく、緑茶の中を泳いでいた。
状況としては、
ミットが持ってきてくれた緑茶のティーバッグに、お湯と角砂糖が入っている状態で、スプーンやマドラーがなくて角砂糖が大きくて溶けきれないまま下に沈んでいって。
その角砂糖が通った道だけがほんのり甘い。
でも、一番下まで沈んではいないのかもしれない。「泳いでいた」って言ってるから。「沈んでいる」とかじゃないから。水の中で砂糖が浮かんでいる感じがする。
砂糖さんが通っていない道はきっと少し甘くないんだろうな。笑
緑茶を”故郷の味”だと表現するコージー。
なぜコージーは、緑茶を飲んだ時に”故郷の味”って思ったんだろう。
春が来てからは日本でも飲んでいなかった緑茶。しかも、普段入れない角砂糖も入れている。混ざりきれていないとはいえ、きっと少しは砂糖の味がするはずだから、普段飲む緑茶とも少し味が違うはずだ。
それに、今の時期に仮に日本にいて、日本でミットと一緒にいたとして、同じようにミットが緑茶を出してくれたとしたら、コージーは、緑茶を飲んだ時に”故郷の味”だと感じるんだろうか。
ボクの場合は多分、
緑茶を飲んで”故郷の味”だと思わないと思う。
それは、きっと、
ボクはドイツが故郷だと思っているから。
食べ物・飲み物の記憶の中で一番古いのがドイツの頃(小学1年の途中〜)だから。
その代わり、日本でドイツのソーセージやヨーロッパのお菓子(ハリボーとか、キンダーチョコとか)などを食べると”故郷の味”だと思う。懐かしい味がする。美味しいかどうかはこの際関係ない。あの頃の思い出や味を思い出すものだったら役割を果たしている。
ガタンゴトン、ガタンゴトンと規則正しい音が車内に響く。列車はサマルカンドに向けて快調に進んでいるようだ。
一方、ぼくはミットの突然の告白に戸惑っていた。
この表現だけで次の展開が想像できる。
電車と、自分たちの会話の弾みを比較して、
今まで、コージーはミットに込み入った話をして、ペラペラ喋っていた。
電車と同じなら、この先もペラペラ喋るだろう。
でも、「一方」というだけで、今は違うんだな。止まっちゃうような出来事が起きんだなと想像できる。
そして、この表現に続く。
ぼくは口を開くことができなかった。返す言葉が見つからないのは、英語力の問題だけではなかった。
そう、電車は快調に進んでいるのに、
会話は止まってしまったのだ。
英語力の問題だったら、返したい内容があって、母語なら出てきて、でも、英語でなんと表現したらいいのかわからない。などとなると思う。
でも、それもありつつも、口を開くことができなかったのは、もっと前の段階に原因があった。
なんなら、英語力の問題はほんのちょっとだ。
「ガンを発症していたんだ」ということを聞いたコージー。
日本語ですら、なんて声をかけたらいいのかわからなかったんだと思う。
清水寺を訪れて、彼の病は良くなった。それが真実であるような気がした。
あえて深く掘り下げない。
そこからコージーの心の余白を感じた。
気持ちの問題なのかもしれない。でも、病は気からってよく言うからね。
何歳になっても、どんな状況でも夢を持っている人には独特のエネルギーがある。そのエネルギーは、病を吹き飛ばすほどの大きさなのだ。
「独特の」っていいなぁって思った。
どんな状況でも夢を持っている人にしかないエネルギー。その表現を「独特の」と表現したところはコージーだからこその表現なんだろうな。
この創作大賞は、書籍化される可能性あるからここでミットに本を出したいんだって話した話を書くのいいなぁって思った。
今回この投稿が書籍化されるのかはまだわからないけれど、でも、きっと出版社や他の創作大賞の人が読んでくれると思うから、今回書籍化されなかったとしても、関係者には心に残るだろう。のちの書籍化のきっかけになるかもしれない。
過去のコージーの旅のnoteを読んでくれるかもしれない。その内容を見て、書籍化したいって声かけてくれる人がいるかもしれない。コージーから出版社に連絡した時に、note読んだよって言ってくれるかもしれない。
相手を信じるということ。それは、時にとてつもないエネルギーを産むことがある。
ボクも、最近ボク以上にボクのことを信じてくれた人がいる。
その時の安心感はとても大きかったでは表せないくらい込み上げる想いがあった。
ここでミットと出会ったコージーは、出会う前よりもきっと、夢への一歩を踏み出しただろう。
ぼくも応援しているよ。
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