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多───寡

さ3月16日夜、せやろがいおじさん(榎森耕助さん)の話を聴いた。⇧
動画を削除する前に、決断までの経緯と理由を説明。
せやろがいおじさんが削除した動画を見て、わたしはありがとうと思った。
そしてnoteにした。⇩

2022年12月29日

せやろがいおじさんは、自分のことばには差別を容認する効果があった、と。数が多い側にいる無自覚が、と。
せやろがいおじさんの顔を見て、ことばに耳を傾けているうちに自分と親とのいろんなシーンが浮かんできた。
それから、
「橋のない川」が浮かんだ。

オウム真理教の衝撃が自分と向き合う契機になった。自分の中の差別のこころを、よく知る必要があると、あの事件がわたしに迫った。
彼らを、遠目に見かけたことがあった。被り物をして歌い踊っていたんじゃないか。ゆたかさ美しさ、よきものの片鱗も感じられない、見ていられなくてすぐ目を逸らした。

「橋のない川」を、読もうと思った。

「橋のない川」という小説があることをなぜ知ったんだろう?

読もうと決めて、本を買うまでにぐずぐずした。得体の知れない差別心を燃料に迫害妄想がむくむく育ってしまった。差別の眼差しが張り巡らされた世界に自分はいるんだと、突然気づいたようだった。それは単純なほんとのことでしかないのかもしれないけど。
「橋のない川」を手に取ったら──あの人たちとお付き合いはできるけど、ご親戚になるのはねぇ、と言った人がいた。関東の人で、年下の夫は関西の人。表面上は差別などありませんということにしておいて、私たちはあちらへは行かないし、あちらからこちらへは入れません、ということだった。「無言の掟」を破って声をあげる人たちに対して、まったくもう、あの人たちは何を考えているのか・・・と溜め息。反射的にわたしが、え、だって差別があるから「差別がある」って言ってるんですよね?と言ったら、わたしにも呆れていた。居心地が悪そうに黙っていた夫が、よいことではないけどね、と締めくくった。悲しそうだった。この人は少なくともわたしを軽蔑はしてないなと感じた──世間があの女の人のクローンで埋め尽くされているかのように思えてしまった。「橋のない川」を手に取ったら、その瞬間から世間はわたしを差別するのだろうか? そして「おまえを差別している」とは誰も言わない。わたし以外の人たちが囁きかわし、目配せするが、わたしだけは知ることができない差別の網にとらえられて〰〰〰妄想万華鏡で目が回っていることを、頭はわかっていても、身体感覚は脅威を感じていた。
それでも、本屋さんの文庫の棚から第一巻を取り、レジへ持っていく日が来た。
「お化け」は、消えた。

本の中には魅力あふれる人がいっぱいで、がつがつがつがつ読んだ。あの人たちに会いたくて会いたくて会いたくて。

小森はわたしだ─わたしは小森だ─小森は子どもだ─わたしを迫害したのは誰でもない、世間じゃない、親。親だ。
自分を疑うフィルターが一時的になくなって、実感した。

小森の人たちは、忌み嫌われ、けがらわしいとされ、おそれられていた。


アンタ ダレ?! イヤナ コドモ!/幼年期

オマエナンカ ナンデ ウマレタ!/学齢期

オマエノ チハ ノロワレテルンダカラ アカチャンナンカ ウムンジャナイヨ!
アア デモ ケッコンハ シナサイヨ セッカク ニンゲンニ ウマレテキタンダカラ(あざわらって)
デモ アカチャンナンカ ウンジャダメダカラネ!/学齢期

ワタシノ オニンギョウナノニ(勝手なことをするな)/14、5歳

アシノ サキマデ フトッテンノネ/15、6歳

ブタ/15、6歳

シシュンキナンテ ナンデ アルンダロウ サビシイ/20代

アンタハ ツメタイ/10代から20代

アンタ バッカリ(楽しくしてずるい)/20代半ば

親のことば


わたしは、おかしくない。おかしいのは、親だ。

親の非道を、なぜそんなことをするのか?と子どもは問い、やめて!と抗議した。痛いから、痛いと言った。
親は、何が気に入らない?と問い返し、こんなにかわいがってやってるのに、おまえは異常!おかしいよ!と罵った。嵐のあと、親から離れひとり泣いていると、悪魔の風のようにやって来て「おまえなんかが泣くなんて! おまえなんかが泣くなんて! わたしと、○○のほうが、もっともっと、かわいそうなんだ! おまえなんか□□□□にかわいがられて!」と絶叫して去った。去ったと思ってほっとする間もなく再び三度戻ってきて、罵声を浴びせた。
こんな目に遭っても遭っても理解力が欠落していた子どもは、非道に抗議したから、おまえは異常、おかしい、病気、と親は繰り返した。

わたしは、自分が、わからなくなった。
わたしに優しかった大人たちは、親の非道を見ていた。そしてわたしに言い聞かせた、幾度も幾度も「子どもを愛してない親はいないんだよ」と。
あの人は大変なんだよ、と。解ってあげて、と。
むかしむかし好きだった人に、親にされて辛かったことを話したら、それはあなたがそう思っただけでしょ、と軽蔑しきった表情で。
あのころのわたしはそんなマヤカシに手もなく騙されて、自分が感じる痛みをまるで汚いものを見るように疑った。

疑いながら痛みを感じていた。

おまえの感じ方はおかしいと断言する他人は、次々現れた。

わたしは常に間違った感情を感じる異常者なのか?

無辜の親をうらむ恥ずべき罪人なのか?

自分を疑う必要があったのは、親。
親はズルヲシテ子どもにおっかぶせて、「子どもさえ幸せなら」とか三文芝居に現を抜かしていた。
あなたがそう思っただけでしょ、と言った人の親は、二言目には「子どもの為に為に為に」と言い募っていた。
ああ、これじゃ苦しいよね、と思った。

自分の感情を、未だ正当に扱うことが難しく、自分の正気を疑うわたしは、せやろがいおじさんのことばを──あんたはおかしくない。おかしいのはあんたの親だ。笑いのめして、笑い飛ばしてやれ。あんたはそれくらい、自分を回復したんだ、奪還したんだよ──せやろがいおじさんのことばを、わたしは、こう受けとめた。






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