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「顕神の夢」展 足利市立美術館へ

足利市立美術館での「顕神の夢」展は8月17日木曜日までですが、
「顕神の夢」は西へ西へ旅します⇩


抵抗さんはナンセンスなんだよね、ほんとに。いままでさんざっぱら脅されてきたけどさ♪

足利市立美術館──足利、行ってみたいな──データ通信量が十分なうちに調べておいた。特急券さえちゃんと買えれば、あとは大丈夫、駅から美術館への道は、わたしでもさすがに迷うことはなさそうだった──暑過ぎる日がつづいて、なんやかやすることもあった。ふとカレンダーを見たら、8月17日までの開催期間でわたしが行かれる機会はあと4回だった。
ちょっと焦ってから、でもまあ、いいよ。いいようになるし、と思った。

あした足利に行こう、と金曜の夜に思った。
わたしが楽しくなることを喜ばないわたしの一部が何して来るかなー?と思った。おもしろい気分と、ぼんやりした不快を感じた。
抵抗してきてもいいもんね♪抵抗強ければ強いほど、むしろ足利に行く、抵抗押し退けて行く♪と思って寝た。

涼しく心地よい土曜の朝──お出かけ日和だなー、ラッキーと思った。

ありがたく受け取る

特急券──券売機のすぐおとなりの窓口で買うのが間違いないと思った。若者があとは支払いだけの様子だったが、あれれ、なんか手間取ってるから、そんなら券売機というものに慣れたらいいんじゃない?と思って、試してみた。サクサクサク──しかし、おかしい、料金が安すぎる。どこでどうなった? 取り消し取り消し、ボタンを押す。やっぱり窓口だ!と気が逸った。乗れる列車までは小一時間もあったけど、早く早く!切符を手にしたかった。
あ、窓口空いてる、動いたわたし、と小学生くらいの旅行者とおぼしき女の子。はっとわたし下がる。わたしは半歩遠かった。少し離れたところにいた濃いサングラスの男の人がスマホから顔を上げると同時に手を、どうぞ、の形に。迷わず、うれしく、わたしはご親切を受けた。ありがとうございますっ。その男性と女の子と数人のご家族たちにしっかと頭を下げて窓口へ。女の子にちょっと済まない気持ちになって、目を合わせなかったとこを悔いたときには窓口の人に声をかけていた。譲ってくれたご家族を少しでもお待たせしないように早く!
券売機のいきさつを話し、知りたいことをたずね、無事特急券と乗車券が一枚になった切符を手にした。窓口の人は華やかなきれいなお顔だっただけでなく、とても気持ちのよい娘さんだった。
振り返ったときご家族の姿は、もうなかった。

出発時間までに①なくても困らないけどあるといいなと思ってたものを見たので買った。②必要だけど買いに行かれないものを見たので買った。③これすぐ必要になるかもと思うものがあったので買った(買ってよかった)。支払いのときお店の人に時間を聞いたら、丁度よい時間になっていた。

大きな空が車窓に広がった

既に列車がいた。自分の号車を確かめて乗りこみ、座席を確かめ確かめ座った。もう座っていればやがて着く。楽。
本日は満席です、大きな荷物はデッキ近くのなんとかに置いてください、荷物の置き方でトラブルが多々ある云々のアナウンス──繰り返す声に、かすかな苛立ちがあった。そんなにトラブルががあるの? やーねーと思った。

動き出した。大きな空、わくわくした。
列車は建物を掠めるようにゆくから、危なく感じたし、うるさいんだろうなーと気にはなった。
空が、青の地に白いおっきな雲が幾つもいくつも浮かんで、うれしくて仕方なかった。
黄緑色の水田に景色が変わった。こんな風景を最後に見たのはいつだったか思い出せなかった。遠いむかしのことが浮かび消えていくまま眺めていた。白鷺がこんなにいるのか。どこかの駅のホームにアフロの人がいた。この人を美術館でも見ることになる。
山並みが見えてきた。

渡良瀬川を渡って

着いたー!
橋を渡れば美術館はすぐそこ。土手の上にのぼれば見えるであろう橋を目指し、いざ。しかし暑い。空がいい。夏の空。
橋。橋の構造がいい感じに日陰をつくってくれていた。これが渡良瀬川か。のぞく。きれいな水がさらさらゆく。水溜まりに小さな魚たちの黒っぽい影がいっぱい。山が近い。足尾の山はどこかな。田中正三さんと洞窟おじさんの足尾の山。谷中村、渡瀬遊水地──とりとめもなく──橋は、中橋。
前方をゆく高齢の女性、暑さをものともしない確かな足取り。「古印最中」と書かれた紙の手提げを持っている(あとでこの手提げを持つ人を何人も見た)。駅に看板があった。おいしいのか? 食べたい。あの人も美術館へ? 違った。どんどん遠退く人を見送った。速い、凄い。
もう美術館はそこ、というところで、なにやら気になる白い暖簾。熱すぎる、石畳からの輻射熱が熱すぎる、嫌なのに足はそちらへ。おはぎの専門店。おいしいのか? 食べたい。店内で食べられるなら食べたいが、わからん。熱すぎる石畳からの輻射熱に死ぬる~~~、ああ、帽子はやめて傘にしてよかった──ただの折りたたみで、高性能日傘ではない──足元からの熱は防げなくても、傘で本当によかった!と噛みしめながらぐるりと廻って美術館の正面へ来た。

「よかっねー✨」

岡本太郎美術館より人が多い印象。空間も狭いようだった。だからか、少しざわざわせわしないような。
同じ作品が構成の違いでこんなに違うのかと思った。川崎で見たときは、図録(完売)の方がいいと感じた絵が、おや?っていうくらい違って見えた。この絵、幾つもの彫刻をじかに床に置いた、部屋と部屋をつなぐ場の壁にこの度は掲げられていて、正面は窓だった。絵が、動いていた。開かれたいい感じの場だった。置かれた立体の間を歩くと、形が変化する。物体ではないような気がした。

一巡して、ぼさっとしてたとき、部屋から出てきた人、ふくよかな笑みで「よかったねー!」と声をおさえて言ったのだった。この男性に応えた人はお連れ合いだろう、やはりふくよかな笑みで声はおさえて「よかったねー!」と。更に4、50代の息子さんに違いない、彼も、声はおさえて。孫さんらしき人の様子は見なかったが、三人さんからあふれるわくわく、きらきら✨が印象的だった。

休むためにベンチがある窓辺へ。若い人たちがいた。座ってしばらくしたら、大胆に背中があいたのを着た人が「マリアが悲しそうだった」と言いながら階段をのぼって来た。若者たちの仲間だったのか。日焼けの境目があるむっくりした背中を展示室見かけたときは20代か30代の人と思ったから、ちょっと驚いた。15、6に見えた。「呪われそう」と男の子の声。「わたしじっと見てたらマリアが悲しそうだった」とくりかえす女の子。悲しそうだった─呪われそう─呪われそうとか言うな──あれは真っ黒の影ではないのか? わたしもじっと見なければいけない、と思った。

それはそうと、円空さんの仏さまに会えなかった。おかしい。
果して仏さまはいらしたが、存在感が、わたしには感じられなかった。さっきは全く目に入らなかった。あのとき、わたしを待っていてくださったようだったあの、あの仏さまなのか?と老眼鏡をかけた。

マリアを、わたしもじっと見た。
マリアの顔の中に、マリアの目と目の辺りに、目と目が浮かび上がってきてわたしを見ている?──イエスか?──マリアとイエス? むしろイエス? 悲しそうではない、野性味ある眼差し。
「マリアが悲しそうだった」という彼女の存在がなければ、あの絵はわたしにとって黒い影のままだった。

⇧この部屋の作品は生田緑地の岡本太郎美術館にはなかった特別展示。
見られてよかったー✨

川崎の生田緑地に住みたいと思った。そして今度は足利に住みたいと思った。楽しかった♪

古印最中、おいしい☺
アートスペース&カフェさんすてき、ごはん、おいしい☺

つづく








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