チーズの舟で海へ
1997年1月20日(月)
アフリカの小柄な女の子たちが5人くらいで歩いている。
先頭は12歳くらい、少しずつ年齢が下がって最年少の人は3歳くらい。
張りのある健康な皮膚といい骨の脚が金色の砂に深く埋もれる。
水を汲みにゆく彼女たちにわたしも着いてゆく。
女の子たちが汲んできた水は、彼女たちはもちろんのむ、村の人たちものむ。とにかく、のむ分、使う分は、水辺へ行って汲んで帰ってくる。
いつしか黒いトンネル。光がないのに見えていた。
女の子たちはひとりの人になっていた。
その輝く黒い目の少女と並んで歩くわたしは彼女(たち)と同じ裸足だった。はだしの親指に力をこめて、黒い土の地面に1歩1歩彫りつけながら歩いた。
土の道が途中からレース状の石畳に変わっていた。模様のように石が飛び飛びに敷かれた道。拳大の石は、ざらっとして白っぽい。正方形だけど痛そうな角ではない。
左手に黒い家が見えた。
日本の民家そっくりだ。アフリカの人もこんな家に住んでいるのか、知らなかった。
長いトンネルが終わった。
あれ? 小学校への道そっくりじゃないか、距離を別にすれば。この横断歩道を渡ればそこは学校。
「ね、この道、わたしのうちのそばの道とそっくりじゃない? 長さは違うけど。あの建物、小学校じゃない?」
彼女はわたしのことをよく知っているから、と当たり前のように考えてわたしは自分の驚きをことばにした。
「そう! そっくりだね!」
と彼女。
ある家に入った。左手の部屋に、からだを悪くした女の人たちがたくさん寝ていた。日本人みたいなお布団で寝るんだなと思った。
みんなわたしと女の子に注目した。にこやかで穏やかな眼差し。
弟の顔が瞬間見えた。
寝ている人たちの部屋の戸口で正座しているわたしたちに、ふたりの女の人が身を起こして話しかけてきた。
期待と不安をいだいたような輝く目がわたしの目をのぞきこむ。ふたりはヒトラーやナチについて熱心にたずねた。
少し気詰まりだった。なんて答えればいいのかよくわからなくてわたしは戸惑うしかなかった。
そこへ最後の問。
❮なぜわたしは、こんなにも残酷な目に遭わされたのでしょう?❯
わたしに答えられるわけはなく、その場を離れた。
「このチーズで舟をつくります。その舟で海へ出ます」
とアフリカの少女が言った。
「ほんと?! やったあ!」
「恐くないの?」
「ううん、うれしいよ」
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