推し活、推しがいる生き方の攻略術

近年ではいろんな媒体、コンテンツにおいて特定のキャラクターなどを応援すること。通称「推し活」という趣味があることは既にご存知かと思います。
キャラクターやその関係性を楽しんだり、気軽にコンテンツを応援したり、同じく気が合う方と交流したりと楽しみ方は人それぞれ様々

でも心のどこかでほんのちょっぴりだけ、この推し活という趣味に対して思うところがある・・・そんな攻略術を書いていきます
ですがこの記事はあくまで推し活に対して否定したりする気持ちはありません
他者を応援すること自体、とても素晴らしい行動です。
ですのでより深く考えを巡らせてみましたし、私自身も推し活をやってみまして書きました

①推し活の良いところ
②推し活の考えたいところ
③一番言いたいところ
読みたい部分だけ読んでも良いし全部読んでももちろんOKです

あくまでも個人的な攻略術であり、必ずしも正しいとは限らないことを明記します

①推し活の良いところ

推し活の良いところをまず挙げるとすれば、その手軽さであったり同じく気の合う友達を見つけて趣味を共有できるところにあるでしょう
例えばイラストであったり、SSであったり、グッズ集めであったり、そうした趣味を手軽に始められる部分にあります

これは忙しい現代社会において一つのアドバンテージと言えます
習い事のように決まったスケジュールを組む必要もないし、練習もありません。また自分の推しの対象が輝く姿を見ることは心に栄養を与えることが出来ます
そして応援する対象がもし仮に何かのランキング、例えば人気であったりゲームのスコアであったり、そうしたものに貢献することでより愛情が深まる感覚があります

しかもこの推し活は個人の能力に左右されないと言うメリットがあります
スポーツができる、勉強ができる、好きな対象にモテる、全て関係ありません
誰もがグッズ購入等やゲームをプレイ、SNS投稿などの推す行動によって対象のサクセスを見ること、快感を得られることが出来ます

この部分こそ推し活におけるメリットと言えるでしょう
昔の宗教で言うところの祈りを捧げたりお布施をあげることに近いものがあるかもしれません。そう言った意味では推し活は私たちが知るよりずっと根深いところにあるのでしょう

②推し活において考えたいところ

ではそんな活動において僕なりに考えたい部分を書いていきます。それは以下のパターン

一、自分の課題や人生から逃げるために推し活をしているタイプ
二、度を超えて推している、拗らせているタイプ
一つずつ書いていきます

一、逃げるための推し活

これについてですが例えば学生であれば学校の勉強や受験であったり、社会人であれば就職、会社の仕事であったり、家族間や恋人間の課題があります
これらは逃げてもどうにもならない問題ではありますが、そうしたものから目を逸らすために推し活をしている方がいます

「なんで自分のことが出来てないのに、他人の応援しているんですか?」って部分に対して「向き合うために推しているんだ」と返ってくるでしょう
あまり反論として成り立ってないように僕は思います。

例えば残念ながら顔立ちやスタイルなどの見た目に恵まれず、異性(同性)からリスペクトを得られなかった方がいるとします
でも人並みに性欲であったり、また自分の好きなものを応援したいと言う気持ちがある、だから推し活をしている・・・と
そのお金や時間を自分に使ったら良いのに、と僕なら思います

何が言いたいかと言うと、まず自分の仕事をきっちりしてから他人の応援をするべきではないか?と言うことです
あなたの推しは逃げ道ではなく、一つのコンテンツに過ぎないという話です
コンテンツを推したところで何からも逃げることはできない、ひと時の心の安心が得られるだけです
今までモテなかったら美容やファッションなど、勉強やスポーツが苦手ならそれ以外の得意分野を見つけるなどをするべきということです

ですが人は考えたり行動することを避ける傾向にあります。カロリーを使う行動を無意識のうちに拒否する、楽な方を選択するように本能で出来ています。
でも本能に従うだけが人間ではないのです

二、度を超えて推している、拗らせている

これについてまず思いつくのは金額のことでしょう。経済的に理想の一つとされる収入に対してのお金の使い方の配分は『50%(生活費)、30%(貯金)、20%(娯楽)』と言う話を聞いたことがあります
もし給料が仮に20万円入ったのであれば、最大でも4万円程度を推し活に使うのが目安になるでしょう
しかし実際には他のことにお金を使う場合もありますし、もっと少ないかと思います

これを逆に10万円以上、または収入以上使ってみるとどうでしょうか?遠くないうちに生活が破綻します。
推し活は娯楽に分類されます。限度額以上の金額を使うと自分の人生がやり直せなくなってしまう。
改めて言うまでもありませんがまずはこのことを記します

次に拗らせるタイプ
このタイプで思いつくことは業界や界隈(?)のルールを押し付けることによってライト層の方が離れることが言えるでしょう

体験した例で言うと、僕にはとある好きなキャラがいました
ですがそのキャラはSNSの中の界隈ではとあるキャラとカップリングされています
そんな中で僕は「〇〇のことが好き、彼女になってほしい」と投稿すると烈火の如くルールを守れ!と怒られたことがあります

公式にそういった記述があるわけではありません
というか公式で夫婦であっても、別キャラとカップリングされることがあります
聞いたことのないルールを顔も知らない誰かから強制されたことがありますし、一番ひどいと思うケースは自分が気に入らないからとコンテンツ元の会社に攻撃や炎上を仕掛ける場合があります

確かに業界にはそういったルールがあって僕はそれを破ったんでしょう
ですが僕は業界に属しているわけではありません
その件があって対象の界隈、ひいてはカップリング業界というものを僕は好きになれませんでした
調べてみるとこうした経験は僕だけではなく、SNSの間ではよくあることと分かりました

何者か知らない人から聞いたことのないルールを強制される、ファン同士でマウントを取り合い、解釈違いで喧嘩する
これが本当にコンテンツ元や推しの望むことでしょうか?
僕にはそうは思えません
というよりそんなことが続けばライト層が少なくなりコンテンツとして成り立たなくなります

一部の方の「僕の方が金を使って偉いんだ、私達の作ったルールを守りなさい」と言う話によって結果的にみんなが損をします
その姿を指して自分はこのキャラが推し!と言う姿はみっともなく感じますし、本当にそうしたルールが必要であれば公式の方から設定されます

推し活は相手を傷つけたりマウントを取ったりといった攻撃の道具ではありません
ですがそうしたことをしている方もいますのでこちらに記しました

③一番言いたいところ

推し活をするにあたり一番僕が引っ掛かっている部分を伝えます
この活動を続けると「生きてても何も楽しめなくなる、自分が能動的に生きることが出来なくなる」
その理由を考えました

まずおよそほとんどのコンテンツは数年程度で人がいなくなる等の理由から終わりを迎えます
自分が飽きるか、コンテンツが終われば当然次のものを好きになるでしょう
ですが次のコンテンツを楽しむ時に以前のものと比べます。その次も、その次も、という感じで
そうしたことを繰り返すうちに「最近は何見ても同じだなぁ、飽きちゃってつまらない」という風に思い始めます
だって、自分自身が能動的に動いたり成長を実感する場面がないですから、コンテンツそのものではなく自分の感性から飽きます

そんなことを思っている時に僕は偶然プロの女性バレリーナの動画を見ることがありました
その女性はもう歳をとって認知症を患ってしまい、下半身が動くことが出来ないそうです
しかし「白鳥の湖」の音楽を聴いた瞬間、女性は動く手だけでバレエのダンスを踊ることが出来ました。その様子は僕を含めて見た人にとって感動を与えるものでありました

何かを極める、プロとして活動するということはとんでもない努力が必要です。一つのことで収入を得ようと思うと10000時間のトレーニングが必要とされています。

そして、推し活と違い何かを頑張るということは辛い壁に当たるということもあります
自分のビジュアルであったり、努力の限界的なものであったり、経済的な話であったり、いろんな要因をさしています
ですが人間はその辛い壁に当たると成長します
ダイエットを頑張ればダイエットの自信がつき、努力の限界を見れば違う方向を頑張ります

推し活は確かに物事の綺麗な面のみを見れます
頑張ることは嫌な部分というか、辛い部分を体で乗り越えないといけません
ですがその成功するかも分からない先に踏み出さないと、ずっと同じ地面を足踏みしていくことになります

実際には女性は、この何倍もの時間をバレエに費やしたのかもしれません
自分自身が、自分自身の主役となるために一生懸命努力されたのでしょう
ですから認知症を患ったとしてもダンスが踊れます、楽しむことはあっても飽きることや辞めてしまうことがなかったのです

僕は全ての人に対して桃太郎や白雪姫を目指して欲しい、ということを伝えたいわけではありません
ただ自分自身という主役から降りてほしくないということを伝えたいです

もちろん人生においてそんな余裕などない人、年齢的に限界を感じる人等もいるかと思います
「みんながみんな、君みたいに強く生きれるわけじゃない」と推し活をしている人に実際に言われたこともあります

ですので、まずは自分を褒めたり出来る仕事を頑張ったり、周囲の人を大事にして欲しいです
そうすることが長期的には推している対象も、周囲の方々も、何より自分自身を上げる行動なんだと思います

いかがでしょうか?
昨今流行りの推し活であったり、綺麗な部分という考え方に対して、僕なりに考えてみました

もちろん僕は推し活そのものに対して否定する気持ちはありません
何かを応援することによって心のエネルギーが生まれ、その力を使えるから前に進めるという人もいます

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