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三方よし

『学び合い』に出会ってまもない6〜7年前、日々どんな話をしようかと奔走している時期がありました。
当時は、本の通りに忠実にやらなくてはいけないという意識が強く、
最初の語りでなにかやる気になるような話をしなくてはいけないという強迫観念がありました。
今思えば、そんな焦っている姿も含めてメッセージを伝えてしまっていたのだと振り返ります。

そんな時に出会った言葉の一つが「三方よし」です。とても当時の自分としてはしっくりきたので、あらゆる場面で話をしていたような気がします。
当時SNSの発信で「三方よし」の考え方を発信されている方がいたと記憶しています。
(どなたか失念してしまいました・・・自分だ!という方はご一報を。助けていただきました。)

三方(さんぽう)よしとは・・・

近江(現在の滋賀県)に本店を置き
江戸から明治にかけて
日本各地で活躍した近江商人。
彼らが信用を得るために
大切にしていたのが、

買い手よし
売り手よし
世間よし

という「三方よし」の精神でした。

©三方よしを世界に広める会2010

三方とは、
・目の前の相手
・自分
・その周りの人

を指します。

近江商人は、商売人ですから、物を売ってお金を頂かないと商売になりません。

自分の利益だけ追求すれば、粗末なものを高値で売れば一時的に多くの利益を得ることができます。しかし、当然ですが、すぐに相手から信用されなくなり、利益を失います。

相手のことを考え、無料でもしくはそれに近い値段で売れば、相手は喜ぶでしょう。しかし、自分を犠牲にしてしまっていては長続きしません。

物を売り買いするにあたって、作物を作ったり、原材料を仕入れたり、加工したり、それを運んだり、分けたりと多くの人が関わります。また、その商売が公序良俗的でなくては世間から見放されます。売り手と買い手の都合ばかり考えていたら、商売は長続きしません。

これらのバランスを考えて、三方が全て満たされるような商売していこうとというのが近江商人の理念だったようです。

彼らは、利益が貯まると無償で橋や学校を建設したりと社会的にも貢献したそうです。
彼らを悪く言えるような人はそうそういなかったのでしょう。

学校や教室の中でいえば、

自分だけおいしい思いをしようと思えば、いくらでもできるでしょう。
自分にそこそこの知恵があるのならば、要領よく課題をこなして、何もしなかったり、テキトーに教えたり、果てには他人のジャマまでできるかもしれません。ただ、その姿を周りは見ていますし、相手から信用されなくなります。せっかく勉強したり、いろんな活動に取り組んだりするのに、結果として地元での信頼を失ってしまう。

相手のことをひたすらに思って、自分を捧げることもできるかもしれません。自分の課題はさておき、他人の協力をひたすらに行う。相手は喜ぶでしょう。ただ自分が無理ばかりしていたら、これも長続きはしない。

自分と相手(仲の良い友人)だけ良ければ良いのだろうか、自分と友人は余裕綽々の顔をしている横に、未だ困っている人がいるかもしれない、自分と友人はそれに気づいているのに、放っておく。
そのような状態を想像して、モヤモヤするのではないか。隣に困っている人がいるのに。
周りが満たされている、そんな状態だからこそ、その場にいる自分も満たされるのではないだろうか。

自分を粉にしてまで周りに貢献すべきとも思わない、素直に「助けて」と言って助けて貰えばいい。

ただ自分さえ良ければなんて思えば、じわりじわりと自分に跳ね返ってきてしまう。

自分のできる範囲で、自分も、相手も、周りもプラスになるような行動を取り続けていった方が良いのではないだろうか。


教室に限らず、学校全体、家庭、地域、社会全体でそんな輪が広がるといいですね。



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