手立てを考えなくてはいけない?
今日は中堅教員研修、所謂12研?(いまだに正式名称がわからない。)
勤務校からほど近くが会場だったので徒歩で移動。
コース別ということで「学年・学級経営」を選択していた。
今年度、初めて学年主任を仰せつかったので、学年経営という意味で研修できればと思ったのだ。
主に「私から生徒へのアプローチ」「私から学年職員へのアプローチ」として柱立てた。
と言っても、大切なことはいつもやっているので、今更新しいことをする気はない。
大切なら最初からやっていればいいだけの話。
基本的に『学び合い』のことを盛り込む。
生徒へも、職員へも『学び合い』的にアプローチすれば良いと思っている。
自分の中でボヤっとしているところも含めて話したのだが、グループのメンバーの皆さんや指導主事は「??」だったのかもしれない。
「生徒の主体性を重視し、協働していく学ぶことの意味を説き、目標と課題を与えて基本的には生徒に活動を委ねます。」
と説明したが、目が点の方がチラホラ。
授業ならまだしも職員へのアプローチはさらに謎だったようだ。
手立てをあまり立てたいと思わない旨も話す
。無用な手立てはただの阻害要因である。
指導主事からは、「それだと研修にならないです。」とのこと笑
何か手立てを打つことがこの研修の大切なところらしい。
「ビジョンを大切にする。」「確固たる軸をもつ。」「自分が幸せである。」
などという日本語はここでは通用しない笑
ひとまず「協働的リーダーシップ」「担任のメンター」と言っておいた。
もっと用意周到に建前を作っておけば良いのかもしれないが、そんなことに労を費やしたくない。
とりあえずやっていることを話して、何か言われたら「はーい。」とする。
ここで抜群に認められることはミッションではない。パスすることが大切である。