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『新・高校生ブルース』:1970、日本

 陽明高校。文芸部員の才女・田村京子は、授業で五言律詩を流麗に読み、先生から誉められた。だが、椎名健次、岡田正樹、和島亘の3名は、性のことに気を取られて全く授業を聞いていない。
 椎名は女性の裸の落書きを先生に見つかり、岡田は性愛小説『ファニー・ヒル』を見つかった。先生から教室を出て行くよう言われた2人は、喜んで退出した。

 椎名は岡田に、京子とは父親同士が親友で昔は良く行き来していたこと、父親の転勤で離れたが4年ぶりに京子が東京へ戻って来たことを語った。下痢だと嘘をついて教室から退出した和島が合流し、3人は学校を抜け出した。
 一方、京子は文芸部の会議に出席し、「文芸作品の中で、青春における性の問題がどのように描写されているか」をテーマに、学園祭で研究発表することを提案する。話し合いの結果、陽明高校の性白書を発表して色々な角度から検討することで意見が一致し、アンケートで実態を調べることになった。

 椎名たちは街でナンパを始めるが、ことごとく断られてしまう。京子は、そんな椎名の様子を覗き見て微笑んだ。椎名たちはトルコ風呂へ行くことにするが、所持金が少ないので3人は無理だった。
 ジャンケンで勝利した椎名がトルコ風呂に行き、エロというトルコ嬢の接待を受けた。しかし580円しか無かったので、ぞんざいに風呂で湯を浴びせられただけで終わってしまった。椎名たちは、優等生面をしている同級生の館山が、同じクラスの女子と温泉マークに入るのを目撃した。

 翌日、登校した椎名は、京子からガールハントの失敗をからかわれた。ホームルームでは、「高校生の恋愛の限界」が議題となった。意見を求められた椎名は、「性欲を我慢するなんてナンセンスだ。スウェーデンの学生やアメリカのヒッピーはフリーセックスで堂々と体制に反逆している」と主張した。
 すると京子が、「男女の愛情を無視した暴言だ」と反論した。館山が「プラトニックな感情を持つべきだ。性的なことは二の次だ」と述べて女子生徒の喝采を浴びたので、椎名は苛立ちを覚えた。

 椎名、岡田、和島は喫茶店へ行き、自分たちがモテないことについて語り合う。「売春禁止法を作った大人達がいけない」「それよりも民主主義がいけない。そのいせで不平等が起きる」などと意見を述べ、「モテる奴らから、どんどん女を搾取されている。フラれっ放しのプロレタリア、つまりフラレタリアだ」ということで、3人の会話は熱を帯びていく。

 話は盛り上がり「我々に必要なことは階級闘争であり、革命だ」ということで、3人は一致団結してフラレタリア同盟を結成することにした。
 彼らは同盟の条文として、「一ヶ月後の学園際までに最低でも一人の女を経験する」「目的はセックスだけであり、女に対して愛情は抱かない」「最悪の場合は強姦などの非合法手段に出ることもある」という3つを定め、行動を始めることにした。

 椎名は京子をアイススケートに誘い、OKを貰ってデートに出掛けた。京子からアンケートとしてセックスの処理法を尋ねられた椎名はキスをしようとするが、平手打ちを食らった。和島は英語教師の桐村に「ポーの『黒猫』の翻訳で分からない部分がある」と嘘をつき、アパートに赴いた。
 和島は彼女を押し倒すが跳ね飛ばされ、泣いて詫びを入れることで許してもらう。岡田は家族の留守中、女中の美代を押し倒すが、本懐を遂げられずに逃げられた。

 同盟結成から10日が経過しても成果が上がらず、3人は「素人は無理だ、水商売の女にしよう」と標的を変更した。学生っぽい服でバカにされては困るので、椎名は背広を買おうとするが高くて手が出ない。
 京子を見掛けた椎名は、「同窓会に出席する」と嘘をつき、兄の背広を貸してほしいと頼んだ。家に赴くと、京子は送り主不明のラブレターを見せた。謎の相手であるミスターXは、文学的な言葉で愛を訴えていた。椎名は「館山に決まっている」と口にして、苛立った様子を示した。

 フラレタリア同盟の3人は夜の新宿に出向くが、どこも高そうで入れない。そんな中、呼び込みのボーイに「1セット450円」と誘われ、3人はガスライトというキャバレーに入った。
 大人ぶった態度でホステスに接する3人だが、そこへクラスメイトの相川サナエがホステスとして現れたため、驚いてしまう。椎名は彼女の暗い人生を思い浮かべ、陰気臭いムードになってしまった。

 別の席に呼ばれたサナエは、中年オヤジの接客をした。中年オヤジは、いやらしい目付きでサナエの体をベタベタと触っていた。それを見た3人は、店を去ることにした。しかし18900円の支払いを要求されたため、ホステスに抗議した。
 すると店のマネージャーが現れ、店の裏に3人を連行して暴行する。そこへサナエが現れ、「足りない分は自分が払う」と告げて3人を助けた。

 翌日、椎名と岡田は、和島から「サナエに惚れちゃったかもしれない」と打ち明けられた。和島は、昨晩の出来事を語った。彼は店から逃げた後、サナエのことが気になって引き返した。仕事を終えたサナエに声を掛け、強引に家まで送り届けようとする。
 サナエは店にいた中年オヤジと会うが、和島は彼を殴り倒した。しかしサナエは怒らず、「嬉しかった」と告げた。サナエは、タチの悪い父から母と2人で逃げ出したこと、母は体が弱いので自分が働かないといけないことを話した。

 京子は椎名を家に誘い、自分が作ったおじやを食べさせた。それから、椎名にワイルダースのLPをプレゼントした。京子は彼に、ミスターXからの第二信を見せた。そこには、「知られない内に、そっと手を引くつもりです」と記されていた。
 椎名は「館山が同情を惹こうとしているだけだ」と言うが、京子は筆跡が違うので館山ではないと否定した。じゃれあった2人は、ベッドに倒れ込んだ。目と目が合い、椎名はキスをした。「怒ってるの?」と聞くと、京子は首を横に振った。

 翌日、京子はサナエから、和島と交際していることを打ち明けられた。テストの答案を返された椎名は、その筆跡を見て、ミスターXの正体が岡田だと気付いた。椎名は岡田との友情を考え、京子に離縁状を書いた。そこには「お前と別れなければならない」などと書かれていたが、それを渡された京子には何のことだか全く分からない。
 椎名は和島と岡田に、「京子から絶好を言い渡された」と嘘をついた。そして岡田に「俺とバトンタッチしろよ」と告げ、京子を口説くよう持ち掛けた。

 翌日、サナエは京子に、学校を辞めることを告げた。昼間に働いて、定時制に通うことにしたのだという。さらに彼女は、卒業したら和島と結婚する約束を交わしたことを明かした。
 和島は椎名と岡田に、サナエと結婚すること、昨日の夜に彼女と体験したことを報告した。「ムードに酔ったのではなく、真剣だった」と和島は言う。その後で求婚したが、サナエは最初、「自分は汚れている」という理由で断ったのだという。いい女だと、椎名と岡田は感心した。

 これで和島が、まずフラレタリア同盟から抜けることになった。椎名は岡田に、「京子を口説き落とせよ」と持ち掛ける。しかし岡田は京子に探りを入れて、椎名が自分に同情して離縁状を書いたことに気付いていた。
 岡田は「意地を張るな」と告げ、椎名と言い争いになる。和島が仲裁に入り、2人は仲直りした。椎名は京子を呼び出し、詫び状を渡した。「訳が分からない」と京子は立ち去ろうとするが、椎名は呼び止めて熱いキスをした。

 夜の街に出掛けた岡田は、妖艶な中年女性・佐和に声を掛けられた。佐和の自宅に招かれた岡田は、誘惑される形で一夜を共にした。一人だけ取り残された椎名は京子を電話で呼び出し、「イライラして、どうしようもない」と吐露する。太股を触って怒られた椎名は、「男の気持ちが分かるもんか」と叫んだ。椎名はトルコ風呂に入るが、京子が乗り込んで彼を連れ出した。
 京子は椎名を、誰もいない夜の学校へ連れて行く。そして裸になり、「どうしても我慢できないのなら、アタシを抱いて」と告げる。椎名は彼女の肩を抱き、「大学に入るまで、このままでいよう」と言った…。

 監督は帯盛迪彦、原作は柴田成人、脚本は今子正義、企画は神吉虎吉、撮影は喜多崎晃、編集は中静達治、録音は高橋温生、照明は渡辺長治、美術は山口煕、音楽は伊部晴美。

 出演は関根恵子(現・高橋恵子)、内田喜郎、菅野直行、水谷豊、三笠すみれ、木下清、北城真記子、猪俣光世、荒砂ゆき、益田ひろ子、中村よし子、浜世津子、中田勉、津田駿、甲斐弘子、藤原あきこ、小峯美栄子、浅見ちづる、美田陽子、山崎弘子、高橋由美子、松村若代、志保京助、夏川圭一、原大作、平野康ら。

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 柴田成人の小説『京子ちゃん心配しないで』を基にした作品。
 同じ柴田成人の小説『傷だらけの十六歳』を基にした『高校生ブルース』の続編的なタイトルだが、内容としての繋がりは全く無い。それに前作の重苦しい雰囲気とはガラリと変わり、明るく喜劇的なテイストになっている。
 監督と主演女優は同じで、さらに撮影、編集、録音、照明、美術、音楽の担当者も共通だ。

 京子を関根恵子、椎名を内田喜郎、和島を菅野直行、岡田を水谷豊、サナエを三笠すみれ、館山を木下清が演じている。
 岡田を演じている水谷豊は、1968年にフジテレビのドラマ『バンパイヤ』で主演デビューを飾るが、すぐに芝居の世界から足を洗う。だが、復帰して1970年に『その人は女教師』で映画デビューし、これが映画出演2作目となる。

 この映画を配給したのは、ダイニチ映配という会社。ダイニチ映配は、大映と日活が共同で設立した配給会社だ。
 1960年代後半、映画界は斜陽化していた。そんな中、大映は勝新太郎が勝プロを設立し、田宮二郎が永田社長の逆鱗に触れて解雇され、市川雷蔵が亡くなり、客を呼べるスター俳優を次々に失ったことにより経営は悪化の一歩を辿っていた。

 そこで1970年4月、大映は同じく経営が悪化していた日活と手を組み、共同配給という形を取ることで負担を軽減しようとしたのだ。しかし経営が上向くことは無く、1971年8月には日活がロマンポルノに路線転換してダイニチ映配から離脱し、同年11月に大映は倒産した。
 わずか1年半という短い期間で終わりを迎えたダイニチ映配だが、『高校生ブルース』に始まる関根恵子主演の“レモンセックス路線”を配給したのは、この会社である。

 「レモンセックス路線って何?」ってことについては、ざっくり言うならば、「若者の性的欲求を甘酸っぱい感じで描く」という作品群のこと。大映は客を呼ぶために、エロ・グロ路線に活路を見出そうとしたのだ。
 ただし、それはダイニチ映配を設立してから始めた路線というわけでもない。1968年には『あるセックス・ドクターの記録』や『ある女子高校医の記録』シリーズといった、「性典モノ」とでも呼ぶべき映画が作られており、その頃から既にエログロ志向があったと解釈してもいいだろう。

 関根恵子は『高校生ブルース』で主演デビューを飾り、これが4作目。全作品でヌードになっている。彼女はデビューから6作連続でヌードシーンがあったらしい。低迷する大映の中、若者を狙ったエロ路線を引っ張る若手女優だった。
 ちなみに、他には渥美マリなども“軟体動物シリーズ”で頑張っていた。それまでの映画界では「スター男優が主役、女優はスターの相手役」というのが当たり前だったが、この時期だけは女優の方が幅を利かせていたのである。そりゃエロ路線だから当然だわな。

 ジョン・クレランドの性愛小説『ファニー・ヒル』、エミが口ずさんでいる藤圭子のヒット曲『圭子の夢は夜ひらく』、トルコ風呂(今のソープランド)、温泉マーク(今のラブホテル)、「コータローがゲートに入った時のような心境だ」というセリフ(コータローは人気のあった競走馬)、など、当時の風俗が、あちらこちらに散りばめられている。

 一つ気になっているのは、椎名が京子からプレゼントされるワイルダースのLPレコード。現物を見たことも聞いたことも無いので、ハッキリしたことは分からないが、たぶん、GSバンドのアイドルスが別名義でやっていたインスト・グループのワイルダースだと思う。
 しかしワイルダースが発売したLPは「ビート・イン・ディスコ」と「ロック・ビート・ア・ゴーゴー」の2枚のはずだが、劇中のジャケットには不鮮明ながら「the best of」という文字が見える。ベスト盤を出していたのだろうか。

 椎名たちはモテないことについて「売春禁止法を作った大人たちがいけない」「いや、それよりも民主主義がいけない。そのせいでモテる奴だけがモテて不平等が起きる」「我々に必要なことは階級闘争であり、革命だ」などと言い合う。
 エロいことを話しているのに政治運動と結び付ける辺りは、いかにも時代だね。
 今のご時世、高校生どころか大人だって、エロいことで盛り上がった時に政治を絡めるなんて、まず有り得ないことだ。それだけ、若者と政治の距離が近い時代だったということだ。

 他にも、「やっちやったのかよ」と聞かれた和島が、「変な聞き方するなよ。いつから反動分子に成り下がったんだよ」と言う場面などもある。時代が言わせたセリフだよな。
 あと、ミスターXが岡田だと知った椎名が「俺の男を立てるには」と考え、離縁状に「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」と記すなど、やたら任侠づいているのも、時代だよな(当時は高倉健や鶴田浩二が主演する東映の仁侠映画が大流行りだった)。

 岡田がミスターXだと知った椎名は、まだ京子と付き合ってもいないのに一人で感情を高ぶらせ、離縁状を渡して涙に暮れる。
 素晴らしいボンクラ魂である。そして、見事なぐらい青臭い話である(悪い意味じゃないよ)。
 考えてみれば、前述した政治活動に絡めて性的欲求について熱く語り合う場面だって、文芸部による性白書に関する話し合いだって、まあ青臭いわな。

 ムラムラして「女なら誰でもいい」と性欲まっしぐらだった椎名が、一人の女性に本気で惚れることによって、性愛としてのエロスから、プラトンが提唱するところの「精神的な愛」としてのエロスの境地に到達するという「性を巡る心の冒険」を描いた物語である。
 さすがにアガペー(無償の愛)にまでは到達していない。っていうか、高校生で、そこまで行ったら怖い。

 「大切なのは心の結び付きだよね」ってことで、椎名と京子の関係におけるピークはキスになっている。関根恵子はラスト近くで脱ぐが、実はヌードになる必要性は無かったりする。
 ただし、「どうしても我慢できないのなら、アタシを抱いて」というセリフを口にして、そこだけはシリアスに決めようとしたら、まあヌードになった方が場面が冴えることは確かだね。

 女性の裸は何度か出てくるが(タイトルロールからして、ナンパのために街を歩く椎名たちが女性を見ると全て裸に見えてしまうという描写になっている)、濡れ場における裸の描写は無い。
 和島と岡田は女性と一夜を共に過ごすが、男女が抱き合うとカメラが足下にパンして、すぐに次のシーンへ移る。そこがレモン・セックス路線におけるエロの限界ってことなんだろう。

 関根恵子、及び彼女のヌードが本作品の最大の売りであることは間違いないが、個人的には三笠すみれ(後に『ケーキ屋ケンちゃん』のお姉さん役)と桐村役の益田ひろ子の方がいいかな。
 関根恵子は、この頃よりも、個人的には高橋恵子になってからの方が好きかもしんない。
 ちなみに、当時の中高生男子の感覚からすれば、18歳未満でも合法的に見ることが出来るエロ映画として、性欲を満たすために使える映画としての意味はあっただろうと思われるが、今の感覚だと、当然のことながらヌルいよ、エロ描写は。

 「岡田は金持ちの一人息子なのに、なぜ金欠なのか」とか、「椎名は館山を敵視しているのに、なぜ温泉マークに入っていたことを皆にバラさないのか」とか、「和島が桐島を狙うエピソードで日曜日に飛ぶ構成はどうなのよ、その日の中で処理した方がいいんじゃないか」とか、「文芸部のアンケートはどうなったのか」とか、まあ細かいことを気にし始めたら色々とある。
 でも、その辺りは深く考えず、大らかな気持ちでスルーしておこう。そんなことを気にして見るような類の映画じゃないだろうし。

(観賞日:2009年1月9日)

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