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『知る』より『感じる』大切さ。

夏休みの思い出。


いや〜。。夏休みですね🌻
ここまで暑い必要はあるのか?ていうくらい毎日暑いですがw

生徒さんたちが、びっくりする勢いでどんどん日焼けしてたり⛱️笑
コロナ禍でなかなか体験できなかった盆踊りに、どハマりして
「東京音頭」を耳コピして聴かせてくれる年中さんがいたり←しぶいw笑

そんなちびっこたちから、夏休みを存分に感じさせてもらっています🌻

思い返すと..
私の両親も、夏休みには色々なところに連れて行ってくれました。
海、山、ディズニーランドや動物園。

遠くの親戚の家に遊びに行くのも、
近所のお友達の家にドキドキしながら泊まりに行くのも、
夏休みのかけがえのない「体験」
あの時に感じたドキドキやワクワク。
初めて触った虫や魚の感触。
父の実家から見えた田舎の風景、虫の音🦗
今でも、その時の音や匂いと一緒に、新鮮に思い出すことができる。
夏休みの思い出は、両親からのかけがえのないギフトだったな、と
心から感謝しています✨

『知ることは、感じることの半分も重要ではない。』

これは、以前にもご紹介した、海洋学者のレイチェル・カーソンさんの著書
「センス・オブ・ワンダー」に書いてある言葉です。

“美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれた時の感激、思いやり、憐れみ、驚嘆や愛情などの様々な感情がひとたびよびさまされると、
次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。
そのようにして見つけ出した知識は、しっかりと身につきます。”

『センス オブ ワンダー』より抜粋

ちなみに、この本は60年以上前に書かれている本です。
今の時代は、60年前に比べると、驚くほどに世界は狭くなりました。
ネットで検索すれば、瞬時にほとんどのことは知識として『知る』ことができます。

脳科学の知見によると、脳は結果が分からないことに対して不安を感じさせるようになっているそうです。
これは、原始時代から人類が生き延び、進化し続けるために必要なことでした。未知なるものを恐れながら、そしてそこから学習しながら人類は進化してきました。

現代は、科学の発展により、昔は「未知なるもの」とされていた天災や疫病などの原理が解明されて、未知ではなくなりました。
ただ、どうなるか分からないことに対して不安を感じるという脳の機能は維持されているそうです。

その不安を解消するためにネットを検索すること自体は、別に悪いことではないと思います。ただ、簡単に「知る」が手に入るようになった分だけ、
大人は「感じる」ということが苦手になってきているのではないでしょうか?

前職のヤマハ講師時代に、「知る」について考えさせられる、こんな出来事がありました。


「うちの子、音符を読むのが遅くて…」

このセリフを、保護者の方から言われることが度々ありました。
これは、ヤマハのレッスンの順番に関係があるのですが、、
以前も書きましたが、聴くことから入るレッスンスタイルなので、譜読みから入るレッスンをしている生徒さんよりは、確かに音符を読めるようになるスピードが
ゆっくりな場合があります。
そのかわりと言ってはなんですが、聴いて、感じることから学習した生徒さんは、コード付けやアレンジ、即興、作曲などの音楽総合力も一緒に身につけていきます。
しかし、このような力は数回のレッスンですぐに身につく力ではありません。
毎回のレッスンで少しずつ、着実に積み重なっていく力です。
そして、このような力は、目には見えづらい力でもあります。

一方で、音符を読むという力は、保護者にとって分かりやすい、
はっきりとした正解のある力です。

音符を読むのが遅いという1点で、力がついていなんじゃないか?という不安要素が大きくなる。
逆に、講師側からみると、着実に成長が感じられる
音感やコード感、アレンジ力などの
目に見えずらい力は、親御さんには伝わりづらい
ということを痛感する出来事でした。

それから、私は保護者に対して長期的な視点でレッスンについてお話しするということを意識するようになりました。
今身についている力、そしてこれから身につけていく力をしっかりとお話しすることで、親御さんのレッスンへの理解は深まったように感じています。

「正解」を求める理由

上記のように、大人ははっきりとした正解を求めがちになる傾向があると私は感じています。
これは、私たちが今まで受けてきた学校教育の影響が大きいのではないでしょうか?
学校の試験では、正解を探すこと、ひとつの答えを探し出せることが優秀とされています。
だから、みんなが正解探しに必死になる。
言い換えれば、正解がある方が安心するようになっている。

これは、ピアノのレッスンにも当てはまるのではないでしょうか?

音符が読める、楽譜通りに正しく弾けるという正解を求める。
なぜなら、その方が先生にも保護者にも分かりやすく、安心できるからなんじゃないでしょうか?

もちろん、読譜力はピアノ演奏には必要な力です。
ただ、あまりにも「知ること」を優先することで、失うものも多い、
と私は考えます。

子供自身が「なんで?どうして?」と感じる前に、大人が先に正解を差し出してしまうことになるからです。
そして、そうやって教育された子供たちは、「楽譜通りに正しく演奏する」ことが
正解だと感じてしまう。
「自分がどう感じているか?」ということ自体が、分からなくなっていってしまうのではないのでしょうか?

『知る』より『感じる』大切さ

こちらの動画をご覧ください↓


なかよしピアノ①『ロックンロール』の曲が大好きで、早く弾きたくてたまらなかった🤣4歳Yくん。

音楽を聴いて、感じたら…
もう、『ロッカー』になってました🥁笑‼️

ちなみに、この曲の楽譜は…
【ド・ド・ドー】の3つの音のみです。
3つの音を弾いてるだけなのに、伴奏が入ることで、一瞬でビートを感じることができる。
Yくんの中の「好き!」の気持ちと化学反応を起こし、全身でビートを感じながら表現することができる。

こんなふうに、大人が環境(Yくんの場合は伴奏や音楽)を整えてあげさえすれば、
子供たちは、自分から学ぶ力を持っているんです。

私が、この「聴いて、感じる」を先に行うピアノ個人レッスンをはじめてから、
はや5年が経ちました。
試行錯誤を繰り返しながらの5年間でしたが、やっぱり「感じる」が
大切だな、ということをますます痛感しています。

それは、びっくりするくらい明確に
自発的に学ぼうとする子供たちが増えてきたからです。

音源に合わせてドレミで歌っているときに、私が楽譜を指で追っていたら
「やめて!」と指を掴んでくる5歳ちゃん笑
(「自分で読みたい!」という強い気持ちの表れでした🤣)

ト音記号のド〜ソが読めるようになり、へ音記号のド〜ソを導入した日に、突然自分から、ト音とへ音の音符を「ドとド..」と呟きながら、交互にマグネットに並べ始める4歳ちゃん。(かわいすぎか❤️笑)

マグネットに3つの音を並べて読む練習をしていると、「次はねえ〜..」と、おもむろに自分で音符を並べ始める4歳くん。(かわいすぎか❤️Part2笑)

そのほかにも、勝手にアナリーゼ(楽曲分析)が始まり、3部形式を理解してたりw
急にオリジナルのメロディを弾き出して作曲が始まったり🤣
数え上げればキリがないくらい、毎週のように子供たちから、たくさんのサプライズがあります。

そして、生徒さん全員に共通していること。それは、
「ピアノが楽しい!」と感じて、楽しみにレッスンに通って来てくれていることです。


「感じる」という感情は、人間だけが持っている力です。
これから、どんなにAIが進化して、美しい音楽を奏でるようになっても、
それを「美しい」と感じるのは、人間なのです。

「自分がどう感じているのか?」
を、はっきりと自分自身で感じる。
その力こそが、これからの教育に求められている力だと私は思います。

「音楽」というツールを使う、ピアノレッスンにだからこそ、できる教育がある。
と、私は強く感じています。

また書きますね🌱

ピアノの先生向け公式LINE、やってます🌈






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