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パンフレットに推しを想う

休みがそろそろ終わるな、と思う頃には既に終わったような絶望があるもので、最後まで楽しめない自分が悲しい。実際ちょっとゆっくりするくらいで大してダラダラもせず、なんならいつもよりも家事や趣味で充実させてしまった。外食もせず、酒も飲まず、誰とも騒がないGW…半年前までは一人の時間が欲しいと思っていたのに、今はしゃべり倒したい欲求が募るばかりで、人間て難しいなあと思った。そんなGW、救いだったのは推しが毎日配信をしてくれたこと。おやすみ、を聞くためだけに毎晩配信の通知を待っていたような感じで、本当にいつも心地よく聞き流していた。

そんな最終日、とうとうすることがない。(いや、厳密には山積みなのだがそっちに手を付けたくはない。)楽しいことをしたいが疲れるのは嫌だ、という、どうすりゃいいの状態で昼過ぎを過ごしていた。年を取ると新しいものをみるのが疲れる、みたいな話をいつぞや聞いたことがあったのだが、最近本当にそんな感じになっていて、私も年を取ったんだな…と実感している。新しい作品に飛び込む元気がない。困った。だからこれまでみた作品をみなおしている。それはそれで楽しいが、アップデートされない感が否めない。時代の波についていけない感、とも言えるだろう。でもしょうがない。今は飛び込む元気がない。どうすっかな、と思いながら、部屋を見渡すと、これまでみた作品のパンフレットが目に入った。映画、舞台、ミュージカル、そして多種多様なイベント。そういえば、これはあんまり見返したことってなかったかも、と手に取り、とりあえず机の上に並べてみることにした。

案外、あるものである。これ1冊2,000円はするんだよな…と一瞬よぎった恐ろしい金額を努めて霧散させ、外装や、写真、対談、広告を眺める。世界観に合わせた凝った装飾。写真のきらめき。キャストの人間味がにじみ出る対談やコメント。写真集に近いものもあれば、読み応え十分な雑誌形式のものもある。推しのコメントや紹介がちょっとづつ変化しているのをみて、成長してるんだなあ、とぼんやり思う。10も年上の役者になにをそんな、という感じだが、端的に表現するならば、ということでご容赦いただきたい。みるたびに、会うたびに最高を塗り替えていく俳優なのだ。そこが心底凄いと思う。パンフレットに載っている出演作を調べると、やはり中には円盤になっていない作品がある。円盤化させていても売り切れだったり、再販予定がなかったり。もっと早く出会っていれば、と思うが、まずは同じ時代を生きていることに感謝である。同じ時代に生きていれば、これから先も生きていれば、また会えるはず、と今は信じるほかない。また、がちゃんとくるように、できる範囲で推しごとをする。盲目になってはいけない。(この”盲目になること”の恐ろしさは最近再確認したところだが、いや、本当に怖いものである。)”推しごと”は”お仕事”ではない。楽しい範囲で、重荷にならない程度でやらなければ意味がない。楽しいことをする、迷ったらわくわくする方を選ぶ、私の推しはそう言うし、私もそれには同感だ。まあ、そうはいっても難しいときもある。その時はその時だ。それこそ、その時の私がわくわくする方を選ぶのだ。

パンフレットを閉じて、みた順に並べる。それぞれの作品をみた時のことが、昨日のことのように鮮明に脳裏に浮かぶことに安心する。あの感動を、心のざわめきをまだ覚えている。今はみれないし、会えないけれど、この新鮮な感情をまだ持っていられるなら、まあ、乗り越えられるかなと思った。

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