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隣の芝は青いので

隣の芝は青い。たぶん永遠に青いままだ。他人の庭というのはなぜあんなにも瑞々しい緑をこれでもかと輝かせているのだろうか。常に比較されながら、そして自分自身でも比較しながら自分の芝が育つのを待つのはなかなかに苦行である。大体そういう芝は捨てて、違う場所で作ってみたり、色や形の違う芝を作ってみたり、大きな塀を作って見えないようにしたりするものだ。隣人が誰もいない場所で芝を作れば革新者であり、その道の第一人者になれる。このご時世でこれができる人は相当目の付け所がいい人だろう。才能と言ってもいいかもしれない。差別化に成功したら唯一無二の存在になる。誰にもまねできないから比較対象にならない。つまり競争を抜け出した状態になる。これは強い。そして最後、世界から自分を隔離する方法をとった場合、これは「井の中の蛙大海を知らず」と言えるだろう。しかし一概にこれが悪いとも言えない。世界と自分の線引きに成功した状態を創り出している。自分の形を知ったうえで今後どうするか、というのが課題ではあろうが、自分をよく考えようとする行動であり、自分を守る行動でもある。例として3つの行動を上げたが、これらはもれなく自分のために行動を起こしているのだ。

最近はひたすら明日が来なきゃいいのになあ、と思いながら帰路につき、ようやくたどり着いた安寧の時間では浅い睡眠に悩まされている。常に曇天な脳内で考えることなど面白くもなく、こういうことがしたいわけじゃないんだけどなあ、というぼんやりとした不満と憂鬱が入り混じった感情を抱えて日中を過ごしている。一か月、いや、一週間でいい。ただただ自由な時間が欲しい。これは完璧に逃げであり、今目の前に積みあがっている作業と検討を放りだしたいだけなのだ。火をつけていいなら喜んで。でも後から後悔するのが決まっているからしないけど…。せめて一回逃避していいですか??という状態だ。逃避して回復するなら逃避すればいい。でも逃避すらできない私は自分のために行動できていないということになる。いや、その通り過ぎてぐうの音も出ない。さてさてどうするか。うまいことやらなければならないのだが…生きるとは難しいことだ。

これまでどうやってこの曇天を晴らしてきたのか考えてみれば、それは旅だった。いきなり土日をかけて、また1日でどこかに行き、移動しながら予定を立て、したいことだけして帰ってくる。そんな日が年に何回かあった。ミラクル解決案を生み出してくれるわけではなかったが、もう一度踏ん張る気力を与えてくれたのは確かである。どうやら、息抜きの方法は多いほうがいいらしい。金はかかるが、人生を助けてくれるみたいだから。ということで私は今日も推しにお世話になるのだろう。そして心情を文字にして発散させてどうにか生きていくのだ。

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