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「孤独のグルメ」の慰め

言わずとしれた深夜の飯テロドラマ、孤独のグルメ。2019年の冬にseason8が終わったところだ。普通に書いたが、驚くなかれ「8期」である。ドラマというか短編詰め合わせみたいなところがあるから、続きやすい形式なのかもしれない。そうだとしても、ずいぶん長く愛されている作品なのだと思う。私がこの作品に出会ったのは2年前。たしかAmazonプライムに登録したのがきっかけだったような気がする。何かの拍子で一話みたらハマった。水につぷんと飲まれたようだった。そんなこんなで、一時期はアバンタイトル(ドラマのオープニング前に流れるプロローグシーン)とオープニングでseason何の何話か当てるのが特技です、なんて言うくらい見ていた。

ひたすらおじさんが飯を食っているだけ、なんて言われるが、孤独のグルメの良いところは井之頭五郎が輸入雑貨商をしているところだ。飯にたどり着く前に一仕事するわけだが、多種多様なセンスのいい店をサラッと紹介してくれる感じがいい。そう、綺麗なものを見せてくれるのである。そして商店街を散策するシーン。飾らないリアルなその街の生態が見えてとても好きだ。もちろん舞台となる店も素晴らしい。うわ、どこで見つけてきたその店…と言いたくなるような店が毎度毎度登場する。名言とともに美味しいものをひたすら食べていく15分間は本当に気持ちがいい。そしてなんだろう、変に心かき乱される要素がないのもポイントが高い。多分否定しないからなんだろうな、と思う。

最近また孤独のグルメ熱が上がってきて、見返していたのだが、あることに気づいた。このドラマ、今私たちができないことを全部やってやがる…!!外を好きに歩く(旅行含む)こと、ふらっと外食する(しかも格別旨い飯)こと。今は絶対できない。でも不思議とできないことをやっているのをみて、イライラはしない。いつもは井之頭五郎を眺めてる感じだが、今は通行人A的なポジションで一緒に歩いている。でも旅をしている感はない。上司の仕事にくっついていった新米、みたいな雰囲気で私はドラマの中にいた。まるで街のにおいがするようだった。

今したいことはただの日常なのだ。ふらっと外に出て、今日は何食べようかなーとか言いながら食堂のメニューを眺める。暑くても寒くてもキンキンに冷えた生ビールを求めて歓楽街へ歩き、どうしても家じゃ出せない味が食べたくて行きつけに転がり込む。その日その店に来たという共通点しかないメンツで、食事をする。もちろん、ソーシャルデスタンスなんて皆無で。今は到底無理だ。これから先、あの日常が戻るかわからない不安もある。でも、そんな不安を、孤独のグルメが慰めてくれるような気がする。だって、今できないことがただのおじさんの日常だったことは、このドラマが証明しているのだ。「案ずるな、これ、日常なり。」井之頭五郎がそう言ったような気がした。

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