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廻り道。街とその不確かな壁

要するに、真実というのはひとつの定まった静止の中にではなく、不断の移行=移動する相の中にある。それが物語というものの神髄ではあるまいか。

あとがき

#以下本編引用あり。前知識なしで読みたい人は先に進まない方が良い。

まずは簡単な要約から

疫病から守るためにこしらえられた、高い壁で囲まれた街がある。そこでは、自分の「影/分身」と、対話できる。私たちは、誰かの「影」として、自らの活動を記録し、記憶する容器のようなもの。他者の「影」の話に耳を傾け、自分の「分身」と、心/意識の最深部で密会する。若い兎が初めて春の野原に出たときのような、説明のつかない、予測の出来ない野放図な躍動の欲するまま、前に進め。境界で区切られた現実/意識は、自由に行き来できる。

物語の構造

物語は、壁の中と壁の外(壁を通り抜ける可能性)、17歳と45歳(異なる時間軸上での記憶/意識)の構造で進行する。さまざまな出来事が、空間的/時間的な境界をすり抜ける契機として開示される。

空間的/時間的な境界をすり抜ける契機

手法的な側面から、特に好きなところを拾ってみよう。

壁の中の彼女

やりかけていた記録作業を終えると、君は帳簿を閉じて背後の棚に仕舞い、私のために薬草茶をこしらえてくれる。ストーブの上の薬罐をとり、その熱い湯とすりつぶした薬草とを注意深く混ぜて、濃い緑色をした茶を作る。そして大ぶりな陶器のカップに入れて、私の前に置く。それは〈夢読み〉のために提供される特別な飲み物であり、その用意をするのが君の仕事のひとつになっている。

Cp. 5

夢読み

私はその夢を頭の中で何度となく再生し、細部をひとつひとつ検証した。うっかり忘れてしまったりしないよう、まだ記憶が生々しく鮮やかなうちに、手元のノートにその内容を思い出せる限り詳細に書き留めた。(中略) 
私はようやくどこかに向けて動き始める。新たな慣性を得て徐々に前進を始める。生々しく鮮やかな夢に強く後押しをされて。

Cp. 28

不確かな壁

何が現実であり、何が現実ではないのか? いや、そもそも現実と非現実を隔てる壁のようなものは、この世界に実際に存在しているのだろうか? 壁は存在しているかもしれない、と私は思う。いや、間違いなく存在しているはずだ。でもそれはどこまでも不確かな壁なのだ。場合に応じて相手に応じて堅さを変え、形状を変えていく。まるで生き物のように。

Cp. 61

境界のほころび

時空が微かに歪んでいくねじれの感覚があった。何かと何かが入り混じっている、私はそう感じた。境界の一部が崩れ、あるいは曖昧になり、現実があちこちで混合し始めている。

Cp. 35

壁を抜ける①

私は顔を上げずにまっすぐ前に走り続け、そこにあるはずの壁に突進した。今となっては影の言うことを信じるしかない。恐れてはならない。私は力を振り絞って疑念を捨て、自分の心を信じた。そして私と影は、硬い煉瓦でできているはずの分厚い壁を半ば泳ぐような格好で通り抜けた。

Cp. 24

現実の成り立ち

その川の流れが入り組んだ迷路となって、暗黒の地中深くを巡るのと同じように、私たちの現実もまた、私たちの内部でいくつもの道に枝分かれしながら進行しているように思える。いくつかの異なった現実が混じり合い、異なった選択肢が絡み合い、そこから総合体としての現実が──私たちが現実と見なしているものが──できあがる。

Cp. 27

壁を抜ける②

気がついたとき私は壁の向こう側にいた。あるいは壁のこちら側に。

Cp. 62

僕は好き。友達にも勧めたい。

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