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短編345.『オーバー阿佐ヶ谷』45

45.

 呑む場所を失った酔っ払いは、次なる寄生先を探す。これは死が定められた運命なのと同様、絶対だ。私はスターロードを阿佐ヶ谷駅に向かって歩いた。飲み屋街なので呑む場所にはこと欠かない。しかし居心地が良く、尚且つ”社会人”が居ない店を探すとなると、これが難しい。

 スターロードの始まりの地点、もう駅も目の前といった場所にその”シーシャ・バー”はあった。古い雑居ビルの地下、狭く薄暗い階段の奥に。
 ーーー悪くないだろう。ここなら多少、社会から外れた人間でも受け入れてもらえそうだ。
 私は階段を降って、店の扉の前に立った。シーシャのイラストと共に〈ベイ・ルート〉との表記。なんだか中東の風が吹いてくるような名前だ。インドや中国、中近東に端を発するというシーシャにはぴったりのネーミング。私は扉を開いた。

 ダウナーなワールドミュージックが流れている。チル、とはまた違った心地の、ケツが重力に引きずられるようなBGM。何人かの男女が音楽そのままにソファに埋まっていた。
 カウンターで金を払い、あてがわれたカラフルなシーシャを手に空いているソファに腰を下ろす。甘いフレーバーのつけられた葉をボングした。別にハイになることもダウナーになることもなかった。どうやら”草”の種類が違うようだ。私はコークハイを飲んだ。こっちの方がよほど効いた。

 長い黒髪の綺麗な女が私の横に座ったのに気付いたのは、三本目のコークハイに手を伸ばした時だった。

          *

「グッド・スメルね」と女は言った。
「シトラスのフレーバーらしいからね」
 私はボングウォーターを指さした。女は首を振った。
「香水。ディオールでしょ?」
「君の鼻に狂いはないぜ、レイディー」
 我々は杯を合わせた。女の形態・機能とも完璧に造形された鼻に。ーーー乾杯。

「イツキ」女は名乗った。幾分、低めの声だった。
「馬龍丑。だ」と返す。「語尾の”。”を忘れないでくれよ」
 私は指で円を作った。ーーーディスイズ・メイクマネー。
「なんで”。”なんて付けるの?」
「モー娘。世代の刻印さ。プリズン・タトゥーみたいなもんだな」
 ーーー真相は闇の中。後世の人間が【馬龍丑。】の語尾に付けられた”。”を巡って論争を繰り広げることを願っている。
「訳分かんない」
「そうだろ?アーティストがそう簡単に理解されちゃかなわないからな」
「さながら阿佐ヶ谷の岡本太郎ね」と女は言った。鼻からボングされた煙を吐き出しながら。それはアップルの香りだった。禁断の果実が頭をよぎった。
「やめてくれよ」私は首を振る。「【阿佐ヶ谷の〇〇】だなんて真っ平御免だ。俺はオリジナルなヒューマンだぜ?bitch。【何処そこの〇〇】なんて喩えられたら、そのアーティストは終わりだ。その時点でもう元祖本家本元を超えることは出来ないからな。そう呼ばれて悦に入ってる奴の気がしれないぜ」
「強気で自信過剰な大馬鹿野郎」と女は言った。多少、酔っているようだった。もし酔ってないのだとしたら、イチから躾をやり直さなければならないプッシーキャットだ。
「自信のない弱気な奴にラッパーなんて生き様は出来ないからな」
 私はグラスを掲げ、”grass”に彩られたサグライフを生き抜いてきた自分を讃えた。



#阿佐ヶ谷  #飲み屋 #スターロード #シーシャ #小説 #短編小説

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