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短編311.『オーバー阿佐ヶ谷』11

11.

 高円寺の駅前で編集者に別れを告げ、私は阿佐ヶ谷までの道のりを高架下を歩いて帰った。途中にあるカレー屋で芝生を眺めながらクラフトビールを飲んだ。なんだか休日の町散歩のような平和さだった。バッグの中の本に挟まれた黒い四本の毛を除いて。

 状況は何一つ好転していなかった。メイクマネーの道は再び閉ざされ、謎の怪物問題まで抱え込んでしまった。どちらかと言えば、大いなる後退だった。見えない力学に阻まれるように行く先々で扉は閉じられる。鼻先をかすって閉まる扉の感触は何度味わっても慣れるものではなかった。極楽鳥を取り逃すのはこれで何度目だろう。それは己の努力とは無関係に勝手に羽ばたく。

 空転する歯車に組み込まれたパーツの一部のような足は、怪物が飛び上がって消えた釣り堀の前まで来て歩を止めた。無意識の自動操縦がそうさせた。今を遡ること十数時間前にここで起こった一連の出来事がありありと眼前に浮かぶ。今も目をつぶって手を伸ばせばその背中に触れられそうな気がした。眉毛の太い女のパンツの中に手を突っ込んだ時のような感覚と指先で触れ得た”ごわごわ”しい触感。生温かくはあったが、別に濡れてはいなかった。それで良かった。私は中に入った。

 平日ということもあり、客はまばらだった。大体に於いて老人が多い。スーツ姿の若い男が一人いたが、竿を垂らした池の水を見つめたまま微動だにしなかった。病んだ日本の象徴のような男だった。
 ーーー怪物はここに逃げ込んだ後、何処に消えたのだろう。釣り堀の敷地の周りには古い住居が多い。まさかその中の一軒に住んでいる訳もなかろう。怪物がエプロンをして台所に立つ様を想像してみる。裸エプロンの部類の中でも最低レベルの妄想となった。

 特に手がかりになりそうなものは見つからなそうだったので、敷地を一周して釣り堀を後にした。

          *

 先程編集者から聞き出した『月刊ムー』編集部の電話番号に電話をかけた。何度かけても”話し中”の為通じなかった。世の中は自分の体験した都市伝説を伝えたい人間で溢れているのかもしれない。もしくは、何か見えない力によって阻まれているのか。ーーー馬鹿らしい。リアルを売りにするラッパーとは到底思えない台詞だ。電話番号の書かれたメモは折り畳んで『マイルズ・デイヴィス自叙伝』に挟んでおいた。

 夜はまだ来なかった。昼すらまだだった。財布の中身は寂しく、天候は生理前の女の子の心みたいに不順だった。携帯電話のアドレス帳を開き、溜め息をついてから、もう一件別の場所に電話を掛けることにした。ビッグマネーには程遠い、さりとてサグライフには付き物のアルバイト先に。



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