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喇叭亭馬龍丑。日記「真夜中過ぎのYouTube、廃墟探訪」5/20(月)
2024.5.20(月)
「真夜中過ぎのYouTube、廃墟探訪」
真夜中過ぎにYouTubeの廃墟探訪(多分、不法侵入)系を見始める。オススメにあがってきたから。さしたる理由はない。あるとすれば、暇の一択。
その廃墟は都内某所にある高級住宅地に存在する。テロップ情報によると、両親が相次いで他界し、ひとり残された息子がその豪邸をゴミ屋敷化した果てに消息不明、とのこと。真偽の程は分からない。が、あり得るような荒れ具合。
…とまぁそこまでのことならわざわざこの日記に書くまでもない。問題はその息子が室内に残した数々の品々だ。一つ一つが妙にリアルで懐かしい。見れば見るほどあの頃が蘇ってきてしまう。そう、多感だった中学生の頃が。
息子が使っていたであろう子ども部屋は時が止まっていた。彼がいつ頃この場所から姿を消したのかは定かではないが、流石に、大人になるまではここに留まっていたのだろう、きっと。でも、その部屋は十代中頃の子ども部屋のまま時を止めていた。
室内に放置された書類等から推察される息子の年齢はほぼ同学年。その時代に中学生として都内で過ごした季節に観ていたアニメ、遊んだゲーム、夢中になったトレーディングカード、お世話になったAV女優、諸々似通っている。
別にこちとらはアニメオタクではないのだがそれでも、通過儀礼的にあの頃の思春期の少年が通るであろうアニメは一通り揃っていた。
履き古され丸まったまま朽ちた洋服や書きかけの手紙の文字の汚さ、便箋やカレンダーの図柄。全てが過去からの問いかけに思えて仕方ない。「よお、お前は今何してる?」と。
動画を見続けているうちに暗い気持ちになってくる。あの頃の自分がそこにいるような、それでいて何も言わず、ただただこちらの両目を見返し続けているような。
ーーー俺は…駄目かな?あの頃の君が夢見たような姿…してないかな?
画面からは何の返答もない。ーーー当たり前だ。撮影者によってただ淡々と室内が荒らされ、そのゴミの奥から思春期の欠片が提示され続ける。そこは(見ようによっては)平和で、とても平和で、時の腐熟が楽園の様相を描き出している。
「今からそこへと帰りたいか?」という問いには相当な覚悟を持って首を横に振らねばならない。
過去に戻ることは許されない。たとえそこが甘く、柔らかく、居心地の良い場所であっても。人は進み続けなければならない。その一歩がいかに哀しく、辛く痛々しいことでもそれでも。時計の針とバイクが前にしか進めないのと同じように、人の目は前にしか付いていない。
いつしかこの身も、(望む望まずとも)社会的な存在となり、責任や他者の目、勝手に背負い込んたプライドによって、「何して游ぶ?」かだけ考えていれば良かったあの頃に掴んでいた遥かなる自由は失われている。
ーーーでも。
日々、骨身に堪える重力との均衡、細胞の劣化、心が続けるアポトーシス。そうした果てにいつか前のめりに倒れるその刹那、心はきっと子ども部屋に戻るんだろう。
少しだけ、そうあって欲しい、とは思っている。
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