ブルーズ物語『フーチークーチマンを産んだ女の手記』
1893年4月7日
我が家に流れ者の占い師がやってきた。町はずれに一軒だけ建つ、こんなあばら屋に人が訪ねてくるのも珍しい。彼女は黒のローブに樫の木で作られた杖を携えていた。
何かガラクタを売りつけられるのも嫌だったが、同性のよしみか、夫の帰らぬ寂しさ故か、つい家の中に招いてしまった。
アサガオの蔓のお茶を飲み終わった彼女は言った。
「あら?妊娠してるのね」と。
ローブを脱いだ彼女はまだ若かった。
「お茶のお礼に占ってあげるわ」と。
琥珀のような不思議な眼の色をしていた。
ズダ袋から占い道具を取り出した彼女は、真剣な面持ちで仕事を始めた。
不気味な…左手をかたどった木彫りの置き物、何かの根っこを乾燥させたもの、白くて、細長い…たぶんあれは動物の骨だったと思う。そんなもの達を机の上に広げて。
初めは半信半疑で眺めていたけど、彼女の真剣さに引き込まれるように私もつい見入ってしまった。
どれくらいの時間、そんなことをしていたんだろう。とても長かったようにも、瞬き一回くらいの短さだったような気もする。顔を上げた彼女は言った。
「この子は…」少しだけ言い淀んでいた。「とんでもない男になるわ」
確かにそう言った。
「そう。そして、可愛い女たちの悲鳴が聴こえる…」占い女は再び顔を伏せた。「飛び跳ねて…あぁ」
全く馬鹿馬鹿しい。
あんな女、家に入れるんじゃなかった。
1893年7月6日
今朝から激しい陣痛。時間を追うごとにその間隔も短くなってきている。予定日はまだ先なのに。
外は大雨。さっき雷がどこかに落ちる音がした。お医者さまはちゃんと来てくれるのかしら。不安だ。
1893年7月8日
昨日の夜に無事産まれた。可愛い可愛い男の子だ。とても嬉しい。
お医者さまが云うには「この子は強運の持ち主」らしい。首に幾重にも絡みついた臍の緒をものともせず息をしていた、と云う。きっと神様の思し召し、有り難い計らいだ。
1893年7月20日
同い年のマーサが町を回って、この子の為にカンパを集めてくれた。七百ドル。こんな大金…。どうしたらみんなに恩返し出来るのだろう。食料を買いたいのは我慢して、この子の将来の為に取っておこう。
1893年8月4日
夜泣きがひどい。一度でもグズりだすと二、三時間は平気で泣いている。おかげで毎日、寝不足。今日も仕事中に居眠りをして農場主に怒られてしまった。夫は今頃、何処にいるんだろう。
1894年2月8日
日記を書くのも久しぶりだ。外は寒い。買い物に行ったけれど、物が高くなったみたいであまり食料を買えなかった。
父が字を教えてくれて本当に良かったと思う。おかげでこうして自分の気持ちを吐き出せる場所がある。友達の輪にはあまり入れないし、マーサも結婚しちゃったから、昔みたいにあまり一緒におしゃべりもしていられない。みんな大人になっていく。子どもを産んだけど、私はもう大人なのだろうか?いつだって寂しい。
父の元に謝りに行こうか。でも、許してはくれまい。もう二、三年は会っていないから心配だ。
この子だけが私を癒してくれる。愛してる。
1894月4月10日
最近、お乳をたくさん飲む。一心不乱に、何かに執着してるみたいに。ひとたび飲み出すと、乳から手も唇も離さない。ここ数ヶ月で、随分体重も増えた。着させる服に苦労する。今日は古い服を切り裂いて、つぎはぎして縫い直し。
1894年7月7日
今日はこの子のバースデー。無事に一歳を迎えられたことがとても嬉しい。神様、ありがとうございます。
1895年4月23日
この子は夫の残していったギターに興味があるようだ。暇さえあれば弦に触れようとする。そんな小さな手ではコードの一つだって押さえられやしないのに。でも、可愛いから好きにさせておく。そのうち飽きて外で遊ぶようになるでしょう。
1900年9月30日
あの子には困ったものだ。近所の女の子を見るとすぐに抱きつこうとする。時には「僕は七百ドル持っているんだぜ」と言って物陰に誘っていたりも…。女とみれば声を掛けずにはいられないみたい。夫の血だろうか。
1903年12月4日
今日、あの子が帰ってきて言うなり、「今日は知らない野郎をぶん殴ってやったよ」ですって!酷いことだ。保安官に連絡されたらどうなることやら分からない。今日は無事に帰ってきたけど、最悪、その男の仲間達に寄ってたかって殺されてしまっていたかもしれない。隣町ではリンチが横行していると聞く。
でも、あの子は得意げに話す。
「さっき仕事から帰ってくる列車を待っている時、暇だからギターを弾いていたんだ。そしたら遠くから男に見つめられてて。…W.C…だっけな。なんとか・ハンディって奴で、親しげに話しかけてきてさ、「君、ギター上手いね。私はそんな音楽聴いたことがないよ。こっちに来てもっと聴かせてくれないか?」だって!ホモかと思って、思いっきりぶん殴ってやったんだ」
嗚呼…神様。
1905年
最近ますます、この子のことが分からない。何をしたいのか、一体何を考えているのかも。まだ十二歳だというのに、付き合うのは歳上の女ばかり。街に仕事に行かせたのがまずかったのだろうか。
土曜日になると、ホンキートンクなんて穢らわしいところに行って踊っているみたい。セキュリティーはどうなっているのかしら全く。
こないだなんて日曜日の朝に、お酒と白粉の匂いをプンプンさせて帰ってきた。帰ってくるなり、教会にも行かず一日中寝てばかり。
この子の将来が心配です神様。
1906年6月6日
恐れていたことが現実になってしまった。マーサを妊娠させてしまったらしい。マーサの夫がピストルを持って、うちの子を探している。
さっき近所の子どもが教えに来てくれた。
あの子は何処に逃げたのだろう。なんでこんなことになってしまったのか。マーサの夫がここに来たらなんて謝れば良いのだろう。もう何もかもが分からない。
気持ちを落ち着けるためにこれを書いている。
神よ。どうかあの子にご加護を。
ああ、神様。あの子をお守りく
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