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短編349.『オーバー阿佐ヶ谷』49(〜完〜)

49.

 正面から見た怪物は様々な顔をしていた。演出家のようでもあり、〈ソルト・ピーナッツ〉の店主のようでもあった。小石川真妃奈のようでも、小牧亨のようでもあった。よく知っている顔であり、全く知らない顔でもあった。全身を覆う黒い毛のせいで顔がどこにあるのかなんて分からない割になんだかそんな印象を受けた。別に何も血管へと打ち込んじゃいないんだが。

「”こと”ここに至っては随分と簡単に姿を現すんだな」と私は言った。「俺はもう降りるぜ」
「もう”満足”しちゃったのかい?」もし怪物が人間と同じ造りなら本来、口があるであろう部分の黒い毛が揺れた。倍音を多く含んだ声だった。「そんな人生で?」
「ーーータメ口、なんだな」
「”主”はずっと生きているもの。目が覚めて以来、ずっとヒトと並走してきたから。それこそ何千年と」
 怪物の一人称は【主】らしい。御大層なことだ。
「大いなる伴走者ってところか」
「”主”はヒトの欲望と共にある。曹操もヒトラーも”主”と共に在ったんだよ」
 ーーー曹操?ヒトラー?三国志?ドイツ労働者党?
「そんな奴がどうして今、俺の前にいるのか理解に苦しむね。それとも俺はは偉人と肩を並べるほどビッグなのか?」
 ーーーそうだとすれば勿論、悪い気はしなかった。
「ヒトに大きいも小さいもないよ。”主”から見れば皆、小さい」
「主の前では人類皆平等、か。ようやく時代があんたに追いついてきたみたいだな」

 もう全然寒くはなかった。ここが十二月の阿佐ヶ谷なのかも分からなかった。我々は真っ暗なステージでスポットライトを当てられた哀れな役者そのものだった。

「馬龍丑くん、って言ったよね?確か」
「”。”を忘れないでくれよ」
 私は指先でマネーマークを作った。
「君が望むなら今の境遇から救い出してあげるよ。”主”にはそれが出来る。それこそ札束で女性の頬を叩くくらい簡単にね」
「まるで芸能界に巣食う悪徳プロデューサーみたいな言い草だな。今の時代に合わせてアップデートしろよ。その台詞はコンプラ的にNGだぜ」
「”主”をハグして『救ってください』って言えば良いんだよ。簡単でしょ?」
「生憎、枕営業なら間に合ってるよ」

 耳の奥の方で微かなビートが聴こえる。そのbpmに寄りかかるようにして不確かなトラックを形にしていく。暴力的に乱入してくるDJのスクラッチノイズ。
 ーーーそう。これだぜ。
 私の中指は自然、怪物の顔の前に突き立てられていた。

ドラッグディールやリリック集に頼ってては駄目
ましてや”怪物”なんてもっと頼りねぇ
掴め音楽でビッグマネー
砂上の楼閣、固めろよコンクリで
俺はラッパー
カスな身の上話、輪になって語るサイファー
俺の人生こそがヒップホップ
ラップトップ買う為に目指すトップオブトップ
誰がなんと言おうと
“道”のど真ん中に立ち続ける
This is motherfuckin’ my Style.
雑魚は引っ込んでやがれマザファカッ

 私は暴力には頼らない。代わりにラップで、行間からですら血の滲む私の人生(リリック)で怪物の横っ面をひっぱたいた。

          *

 満月は薄い雲に覆われ、モザイクの向こう側の”お豆さん”のようだった。月の光が薄雲に反射し、黄色い球体の周りに円形の虹を作っているように見える。ただコンタクトレンズが曇っているせいかもしれない。

 そこにもう怪物の姿は無かった。あるのは固く閉ざされた〈ソルト・ピーナッツ〉のドアだけだった。冬の風が首筋のタトゥーを撫でる。【The World is Yours】。世界は愛すべき女たちのものであり、そして全ての女は俺のものだ。

 私は家に向かおうとする足先を翻し、駅前のスタジオに向かった。スターロードの入り口にあるビルの壁にはマジックペンを使った小さな文字で「音楽さえあれば人生は楽しい」と書かれていた。

 ーーーその通りだ。音楽と文章と酒と煙草と女と仲間と美味い飯と快適な住まいと格好良い服と履き心地の良い靴と健康と好きな仕事と自前のスタジオと有り余る金とウィードさえあれば人生は楽しい。

 そうだろ?Doggs?


#阿佐ヶ谷 #スターロード #小説 #短編小説

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