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悪女 ~霞へのプロローグ(女性目線)~   ①

「……しばらくここでゆっくりしていってはどうだ、ん?闇の世界を知ることで光の意義も確認できるというものだ。そうは思わんかね、良心君。いや、そろそろ建前君と呼ぼうか?」
くるりと背を向けると、薄暗がりの中に足早に消えて行った。

「ハッハッ“建前君”か!こりゃいい。」
誇らしげな声が、あたりに響きながら昇っていく。

と、かん高い足音と伴に、一人の女性が現れた。
「もう、ホントやなやつ!どうして悪のイメージってあんななの?黒装束に低い声、口から出るのは皮肉と嫌味。完全自己チューで表情に乏しく、目はマジのまま顔半分だけで笑う、オ・ト・コ。まったく性差別もはなはだしいったらありゃしない。主が女性なら、心の中にいるのは当然おんな、つまり“悪女”じゃなくって?あ、悪女と言っても中島みゆきの歌みたいな現実世界のものとは違うわね。ま、あたしみたいに、美人でセンスのいい服を着た悪女を持ってる女性なんて滅多にいやしないでしょうけど。」
何やらヒステリックにまくしたてている。黄色の髪、ピンクの大柄のブラウス、紺色のタイトスカートにピンハイヒール。どこか統一感に欠けているようだけど、妙に存在感があるわね。

「何か…誰かに見られているような…あらぁ、こんなにいらして。ま、驚いた。といっても見られようが聞かれようが構やしませんけどね。なにせ私は心の住人。個人情報もコンプライアンスも関係ないんだから。ちょっと覗いて返るつもりだったのに、思わず奴の話に聞き入っちゃったわ。そろそろ戻ろうかし・・・あら、気が利くじゃない。ありがと。」
と言いながら、どこからか現れた椅子に腰をおろした。

「それにしても、今、主様…なんかこの響き嫌ね。う~ん…そうだ、“彼女”がいいわね!彼女と呼びましょう。えーっと、そう、今彼女の抱えている問題は、男目線ではわかりっこないのよ。」
そう言いながら、柔らかい鳥の羽毛でできた緑色の扇子で自分を扇ぎ始めた。ゆっくりセンスが動くたび、甘い香りがこちらに漂って来るわ。
「たしかにねぇ…いわゆる常識ってことで考えると、妻子持ちのいい歳した大人に心を奪われた、なんてバカよね。元気のいいまだ将来の可能性にあふれた若い男性を好きになった方が、どれだけ楽しくて楽だか。違う?でもね、大人には大人の魅力があるのも事実よねぇ。なんか、こう、ゆとりがあるっていうか、ガツガツしてないというか。包み込んですべてを受け止めてくれるような優しさがあるものね。あら、勘違いしないでね、あの男のことなんかじゃ決してなくってよ。」

“あの男”って、きっとあいつのことよね。ずいぶんと毛嫌いしているみたい。あからさまに顔をしかめて見せたわ。それにしてもこの女性、いや声の調子は男性っぽいけど、いったい何者かしら?さっきまでは、あの男と白い彼と二人きりだったのに、突然現れたし。それに現れるなり、あの男のことを嫌いなようなそぶりを見せてる。

そんなことを考えていると、彼女は立ち上がり両手を後ろに組んでゆっくり歩きだした。
「彼女の場合は父親を多感な時期に亡くしてしまったから、大人の男性からのやさしさに飢えていたの。好きになった男性はほとんど年上、一回りくらい上のね。でも妻子持ちって言うのは今回が初めて。最初はペンを貸してくれって近づいてきて、何日か経ったころ、突然お礼にとケーキを持ってきた。もちろん相手は只のお客、おざなりのご挨拶だと思ってそれからもチャンと距離を置いていたわ。っていうより、『私は優しいんですよ』的なやりかたが鼻について、近づくのが嫌だったみたい。」
ふとこちらを振り向いたとき、彼女と眼が合った。少し太めの眉の下にある目は透き通っていて、こちらを射すくめてるみたい。少し怖い。
「そんな彼に対する見方が変わったのは、一つのプロジェクトが完成した初夏の祝賀会でのこと。始まるや否や四、五人お偉いさんの長いおざなりの挨拶が続いたもんだから、もううんざり。

『えー、今回のプロジェクトの話が出た折には、あー、反対意見も数多くありましたがぁ、んー、私はこれくらいの冒険をしなくてわぁー』みたいな?あーあー、心にもないことを。この部長、ことなかれ主義で最初は猛反対していたくせに、副部長の彼が辞表を手に直談判に行ったらしぶしぶ承知して、いざ成功したら自分がバックアップしたおかげだ、ですって。いやねえ大人の世界って。

そんなことを考えていたとき、後ろから彼がそっとメモを渡してきたの。『成功したのは俺のおかげだと言わんばかりの腹黒い奴らの話より、陰でしっかり働いてくれてたあなたに感謝したい。』ってね。普通だったらその手の誘いには決して乗らないわよ。みえみえじゃない。だけど、同じような自慢話ばかり聞かされて辟易してたし、それにね…あ、このことは後で。」
ひょっとして彼女は、あの男のキャラのひとつかしら?多くのキャラを持っているようなことをあの男は言ったわ。じゃあ彼女のように自己反発している構成要素がいてもおかしくはないわね。しばらく彼女の話に耳を傾けることにしましょう。
「とにかく乾杯の発声と同時に抜け出して、メモに書いてあったバーに向かったのね。小さな建物の階段を二階に駆け上って息を整えドアを静かに押すと、照明を落とした店内にはジャズが流れていた。薄明かりの中見回すと、彼はカウンターから少し離れたテーブルで軽く手を挙げている。
『ほんとに来てくれたんだ。ありがとう。』
『あ、いえ、お誘いいただいてありがたかったです。息がつまりそうでしたから。』
彼女、素直に本音を言ったわ。それから小さなキャンドルの置かれてたテーブルで彼と二人っきりの乾杯をして他愛もない話をした。冗談を言ったり、裏話をしたりしてとても楽しかったんだけど、そのうち彼に寂しさを感じたの。軽くて遊び人と思っていた彼が、何か一人で抱え込んでるというか…自分の内にとらわれているというか…
『東郷さん‥』
あ、彼のことね。
『東郷さん、お気に触ったらごめんなさい。でも、何かお悩みのように感じるんですが。』
『え、いや別にそんなことは…』

明らかに動揺してるわね。ちょっと押してみましょ。

『あの、私でよかったらお話聞かせてもらえませんか?それとも、こんな小娘じゃ、話す気になりませんか?』
『いや、決してそんなことは。参ったなぁ。実は…』

うまくいった!

それから彼は、ポツリポツリと、悩み?抱えている問題を話し始めたの。同居しているご両親のこと、奥様のこと、驚いたのは会社での立場が微妙だってこと。一見、部下をバリバリ引っぱって行く理想のボスに見えてたけど、実は今どきの新入社員と社長に挟まれた中間管理職。取引先の手前、いつも笑顔で活気あふれている風を装わなきゃならない。大変よね男って。

いえ、女性の管理職を否定しているわけじゃなくってよ。でも悔しいけどこの世の中、まだまだ男中心で回っているじゃない?初音ミクだか、ホットケーキミックスだか知りませんけどね、え?アマノジャクス?んもう何だっていいのよ!いくら政府が女性の社会進出を後押しすると言っても、まだまだ時間がかかるのは間違いないわ。
あらいやだ、私ったら柄にもなく政治の話なんか。忘れて!