見出し画像

あの人なら、どんなふうに読んでくれるかなぁ

昨日、中島みゆきが1986年に出版した書き下ろし小説『女歌』(新潮社)を読んだ。「小説」と銘打ってはいるが、おそらくかなりの部分が事実と思われる短編集。
1970年代に住んでいた霞町(今の西麻布)の外国人向けマンションで出会った、性風俗業に従事するヘレン(「街の女」)、自身のコンサートツアー(おそらく旅程的に、1986年のツアー「五番目の季節」)で照明スタッフとして奔走するりえちゃん(「23:00熊本発鹿児島行き急行バス」)など、人生の中で出会い、交流した6人の女性たちについて、ときには感傷的な、そしてときにはあたたかい眼差しを伴った筆致で描いている。

文章を書くことが本業ではない彼女だが、そこに表れた姿勢は歌から感じられる彼女そのもので、とても胸に沁みた。
そして、彼女の人間の描き方を読んでいるうちに、なんだかKさんのことが頭に浮かんできた。「この本、Kさんお好きかも」と。

※ ※ ※

「あぁ、これ良いな」と思うものは、読んでいると不思議と誰かのことを思い出すことが多い。「誰か」というのはお付き合いのある方々のことなのだが、おそらく「この『良いな』と思った気持ちを、あの人と共有したい」と思ったり、「あの人なら、どんなふうに読んでくれるかなぁ」、「あの人ならこれを読んでどう考えるだろう」と思ったりするのだろう。
だから、例えば私がTwitterでリツイートするときは、たいてい「あの人が読んでくれたら良いな」という願いを込めている。

先日こちらでもご紹介したKato Natsumiさんによるhibikiさんへのインタビュー。

hibikiさんのことを存じ上げていることもあり、あまりの素敵なインタビューに言葉が出てこなかったのだが、この度、インタビューの第2回、第3回が公開されたので、こちらでご紹介したい。

第2回 西野歩さん

「煌めく返り花プロジェクト」の代表をされているという西野さん。まず、本文を読む前から、アイキャッチのお写真に写った優しい笑顔に惹きつけられる。

このシェアハウスでは、食事は出てこないし、洗濯もご自身でやっていただくことになる。でも、いつも人の気配がある。みんなで生きることができる。そんな場所をつくりたいなと思っています。

「みんなで生きる」。平たい言葉だが、たぶんここには様々な意味が込められているんだろうな、と思う。

読みながら、お仕事柄もあるのだろうが、ぴぴぷるさんのタヌキのアイコンが頭に浮かんだ。分野的に西野さんと近いところで働いていらっしゃるぴぴぷるさんは、どんなことを思われるかなぁ、と。

第3回 廖怡鈞さん

第3回は、上智大学大学院で「まち」について研究されている廖(リョウ)さん。

個人的な話なのだが、「まち」に関わる仕事がしてみたいという思いを胸のどこかに秘めて前職に就いた私は、いまでも「まち」とか「場」ということにとても興味があって、いつの日か自分でも「場づくり」がしたいと思っている。

現時点で "まちの思想"をつくっているものは、紙やウェブなどの実媒体、祭りやイベントなどの活動、空間(公共空間や店舗)、人的ネットワークのようなものだと考えています。すべてが動的なもの、運動のようなもので、これらが"まちの思想"を拡散し、共有しているのではないかと。

「動的なまち」。この考え方、とても素敵。

こちらのインタビューに関しては、nuricoさんのアイコン(お顔のイラスト)が浮かんできた。
「場づくり」がしたいなどと言いつつ具体的なことには疎い私なのだが、韓国で暮らしていらっしゃるnuricoさんの「『今、ここ』を輝かせることができる、ジオグラフィー(空間:地理)&ヒストリー(時間:歴史)=ジオヒス」と通じるものがあるのかもしれない(もしかしたら、ないのかもしれないが…)。そんなことを思ったのだ。

皆さんもぜひインタビュー記事、読んでみていただきたい。

【追伸】突然お名前を出してしまった方々、どうもすみませんでした…。

もし何かに共感していただけたら、それだけでもとても嬉しいです。いただいたお金は、他の方の応援に使わせていただきます。