本は良いなぁ

この頃時々ご紹介している初台にある「fuzkue」さんの店主である阿久津隆さんによる『読書の日記』(2018年、NUMABOOKS)。2018年の最終日である今日もいつものようにそれを読んでいて、2016年11月25日(金)の記述にこんなくだりを見つけた。

自分で変えられるとは思っていないからこそ気にならないでいられることがこの世界にはたぶんものすごく無数にあるということでもありそうで、変えられると思うのと変えられるだなんて考えたこともなかったというので、どちらがいい状態なのかはわからない。(P.111)

これはfuzkueさんのWebサイトの設計などを見直しているときの日記。サイトを改修する技術が上がってきて、これまで気にならなかったところがどんどん気になり始めた…という部分なのだが、ここを読んだとき、なんだかとても印象に残った。

先日のこもれびスタッフブログで「想像力」のことを書いたが、あれは「想像力がないから、(人を傷つけても)気にならない)」ということだった。ここでは、想像力の代わりに「自分で変えられると思わない」というマインドが置かれている。

私に引きつけて考えるなら、今の職場の環境やあり方はとても気になっていて、もしかしたら地道に活動を続ければ、もしくは時が経てば変わるものなのかもしれない。ただ、もはやその日を待つ気力はほとんど残っておらず、自分のあり方を変えることで対処しようと目論んでいる。ただ、そう目論むことができるようになったのも、今年になって魅力的な皆さんと出会えたから。これらの出会いがなかったら、私はすっかり参っていただろう。

ただ一方で、「うちの会社はこういうものだ」と素直に現実を受け入れてそこで働き続け、一定の地位を得る道もあって、その方が性に合っているという人ももちろんいる。「どちらがいい状態なのかはわからない」と阿久津さんは書かれているが、私もどちらが良い/悪いではないだろうな、と思う。

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もともとWebサイトに関する記述だったものを、「生き方」「働き方」まで拡大解釈するのはやり過ぎで、誤読とすら言えるかもしれない。2018年もそれなりの数の本を読んできたように思うが、そう考えると私の読書は誤読だらけなのかもしれない。

でも、私にとって読書とは、全体を通してであれ、その中のたった一文を通してであれ、そこから自分が考えるヒントを得る営みなのだろう。
「善く生きる」という言葉をかなり真面目に捉えており、それを実践したいと思ってきた。よく考えて、善く生きたい。

幸い、来年は自分が良いと思うものを良いと思う形のまま実践できる環境に身を置ける…かもしれない。そのことも、これまで読んできた一冊一冊を選んで読み、そして時々で一つ一つの行動を選び取ってきた結果な気がする。

やっぱり本は良いなぁ。改めてそう思った2018年であった。

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5月末から投稿を始めて早半年以上。お読みいただいたり、お会いしてくださったりした方、本当にありがとうございました。
来年も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

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