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月が妖しく見えるとき

昨夜の月はほぼ満月で、調べてみるとどうやらその後、真夜中に満月の瞬間を迎えたようだ。今夜の月も、肉眼で見る限りではほぼ満月である。

昨夜の月は、とても「パッキリ」としているような印象だった。それこそまるで、絵に描いたような月。
そして今夜の月には幻想的に雲がかかり、これまたまるで、絵のようだ。

私はなんだか、両日の月に妖しい美しさを感じてしまった。禍々しい、というのとは異なるが、なにやらちょっと、怖さというか凄みを感じる。うっかりすると、吸い込まれてしまいそうだ。潮の満ち引きには月の引力が関係している、などということに思いを馳せると、なおさら引き寄せられる気がする。

そんなことを考えながら家にたどり着き、しばし月について考える。すると、あることが頭に浮かんできた。それは、「変わらないでそこにある自然に対して、いかに勝手に自分の都合を反映させてしまっているか」ということ。
私が元気で、気分が良い時、美しい月に心洗われ、落ち着いた気持ちになる。先日など、「美味しそうなクリームパン」と評して褒め称えたばかりである。
ところがどうだろう。ここ数日、風邪が長引いていてどうも体調が万全ではなく、おまけに今日は日中、職場で気持ちがささくれ立つ出来事があったのだが、そんな時に見る月については「妖しい」「怖い」などと評する始末。

様子が変わっているのは自分の方なのに、それを棚に上げてつい、月の方が変わってしまったなどと身勝手なことを思ってしまった。

以前、職場の大先輩から「人の粗探しをしてしまう時は、自分の世界が狭くなって余裕がなくなっている証拠だよ」と言われたことがある。その先輩はいつもご自身のこれまでの経験から気づいたことを教えてくれる方で、滅多に会えなくなってしまった今でも尊敬しているのだが(定期購読マガジンの方で何度か書かせていただいたJさんです)、この度、その言葉を思い出した。
月は私を叱ったりはしなかったけれど、失礼なことをしてしまったと反省する私なのであった。

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