【5日目】『Perfect days』一回目

 人生最”推し”の映画に出会った。

 配役、演技、演出、脚本、画角、表現のレイヤーの傾斜のつけ方、音楽、その他すべてを総合して、「The 私好み」のバランス感覚だった。

 まず、観る前から期待度がとても高かった。自分が今の仕事に悩んでいること、予告編で十分伝わってくる平山のような生き方に元々憧れがあること、ストイックで洗練された、静かで観客に集中力を求める表現方法、全てに予感として惹かれていた。また、The Tokyo ToiletをSWITCHから知り、ずっと興味がくすぶっていたこともある。「この映画は自分にとって大切な作品になる。」その予感が的中した。

 全編を通して抱いた感想は、やはり「自分のツボを全部押された幸福感」が7割を占めた。ただ、この感想は、期待度が高かったゆえに「自分の観たいものから大きくは外れず、とっても満足感があった」という、”自分好み”のラーメン屋を見つけたときの喜びの最大級に近いような感覚からくるもの。その感想と同時に、「大切なテーマを掴み切れなかった、という悔しさ」も2割くらい。これは、特に”木漏れ日・光と影”という、この作品の主題を意識しながら観ることができなかった、という思いだ。例えば、平山と友山(改めて書くとお茶目なネーミングセンス!)が交わす台詞は、全編を通した平山の生き方から生まれる台詞であるはずなのに、いまいちピンとこなかった。最後に、残る1割は「もう一回観て、より深く楽しめることへの期待」である。

 ただ、鑑賞後にパンフレットを読んで、この感想たちには”影”が差した。反省した。この”影”についてどうしても語りたいのだけど、あまりにもパンフレットに打ちのめされ、全文引用しかねない勢いなので、なんと”反省したけど、反省内容は書けない”反省文という形になってしまった。万が一、書いていない部分について気になってくれるような物好きがいらっしゃったら、ぜひ映画を観て、パンフレットを買ってください。

 とりあえずの結論は、もう一回観てきます。手放しに称賛する、盲目的な人生最”推し”ではなく、批判も含めて、人生で一番大切な映画だと感じるために。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?