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思考チェンジの話

それは手段なのか目的なのか、という。

今、結婚式の準備中で絶賛バタついているんですが、僕めっちゃムカついていたんですね。
結婚式について、僕はもう家族だけでこじんまりとやりたかった。準備も楽だし金もかからんし両家の家族とゆっくり話せる。良いことしかない。
本当に仲の良い友達は「お祝いさせて!」って言ってくれますしね。
けど奥さんが「友達にドレス姿を見てもらいたい」って言って、僕は秒で折れました。まぁこれを覆すのは歴史を見ても無理だし、覆したとて遺恨が残るだろうな、と。

で、準備がやっぱり大変。
準備大変だけど仕事忙しいし、むしろ仕事が大変なんだが?とか思いつつ、奥さんには準備手伝えと言われまくり喧嘩になり、何だこれ?何のための結婚式なんだ?何故結婚式のために喧嘩しなきゃいけないんだ?
などと思っていたわけです。

お金を節約するためにプロフィールムービー作ってくれ、って言われたり。
いや僕の時給の方が高いよ……とか、そういう話が通じないんですね。労力はタダだと思っている感じ。
外注しても結局ディレクションしなきゃいけないんですけどね。
まぁ細かい注文し直すよりも自分で作った方が楽な可能性もあるんですが……

まぁ色々あってイライラしていました。
が、ムービーを作っている時にある写真が出てきたんですね。
それはプロポーズした日の写真。
で、その時に思いました。

「あ、俺この日に彼女に『何があっても幸せにする』って約束したわ」

確かに僕視点だと結婚式やるの面倒くさいな……っていう感じで、つまりさほどやりたいことではないんですが、彼女にとっては大事なことです。
彼女を幸せにするためには、この道は避けては通れないということですね。

今やっていることが「だるいな……」ってなると逃げの思考に陥りがちですが、原点に立ち返ると大体のことがいやこれは手段だったと気づくんです。忘れがちですが。
よく「手段が目的化していないか?」っていう問いかけが発生しますけど、ニュアンスは違えどこんな時にもその問いかけは有効ですね。

パンを焼きたい!そして食いたい!って思ったら粉を捏ねなきゃいけないんですけど、粉を捏ねている最中に「俺は粉を捏ねるために生まれてきたんじゃない……!」なんて思ったとするじゃないですか。でも思い出してほしい。あなたの焼くパンは最高に旨い。そしてそのパンをあなた自身が食べたい、焼きたてで……じゃあ捏ねるしかなくないですか?

苦しい時こそ思い出したい言葉。それは「じゃあやるしかなくない?」です。
プロサッカー選手になりたかったら死ぬほど走るしかないし、パンを焼きたかったら粉を捏ねるしかないんです。
そして彼女を幸せしたかったら結婚式の準備を頑張るしかない……
死ぬほど走るのも粉捏ねるのも別に目的じゃないんです。手段なんです。
その道の先に行きたいから、そこを通るしかない。
避けては通れないなら、通るしかなくないですか?

というわけで文句言わずに結婚式の準備を頑張ろうと思います。
この期間が一生続くわけでもないので。

ではまた。

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