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出鱈目で薄情な子供が信頼するもの 往復書簡#42

画家・小河泰帆さんとの往復書簡42回目ですよ。
前回は活動休止していた期間のお話でした。

小河さんの9年間はとても充実した、インプットの期間だったのだなと思いました。
育児で活動休止されていた期間も、「やめたつもりはなく、またいつか描くと思ってました」とありましたが、その感覚はわかります。私も絵に対する感情って、安定しているというか信用している感じがあって、一時的に離れたとしても大丈夫だと思えますね。やっぱりシンプルに、描くのが好きってことなのでしょうか、好きは強いですね。

作家としてのキャリア形成と生活について、タシロさんはどのようにお考えですか?
タシロさんはまた私とは違ったルートを通って作家になられているわけですが、自分の歩みについてどう思われているのか教えていただけるとうれしいです。

往復書簡#41より

私がムサビ通信に入学したのは35才の時なので、エンジンかかるの遅いな~と思います。キャリア形成という視点からいったら、出鱈目すぎるんじゃないですか。それでもこうやって、卒業後ずっと継続して発表の機会を頂いているのは非常にありがたいことだし運がいいと思う反面、いま描いているような絵は、もしも20代から作家活動をしていたなら描いていないと思うので、このルート以外では作家になれなかったのかもしれません。

そんな感じなのでキャリア形成に関して語れることは何もないのですが、画業に限らず、結婚や出産がキャリア形成と二者択一みたいになってるのは、非常によくないと感じます。
結婚や出産を自分の人生においてどのようなものとして位置づけるのかは、とても個人的で重要な問題なので、結婚するしない、産む産まない、どれを選んでも意志がちゃんと尊重されて担保されるような世の中の仕組みがほしいし、世代間男女間に横たわる深い感覚の溝も、少しずつ解消されていってほしいと常々思っています。

この溝に関連して、親世代の思う女性の生き方と、自分の思う生き方の相容れなさに苦しんだ時期があります。どうしても感情では歩み寄れない命題を前に、若い私はどうしたかというと、対話を放棄して逃走しちゃいました。いまでこそ、介護という新たな命題が立ち上がったので実家に寄る頻度は高いですが、それまでは全く実家に近寄らない薄情な子供でしたよ。

親子関係の難しさはよく芸術作品の題材にもなるし、多くの人が程度の差こそあれ様々な形のモヤモヤを胸に抱えて生きているであろう、ある意味とてもありきたりなテーマですが、私も例にもれず相応のモヤモヤを抱えながら年月を重ねて現在に至ってます。自分の心を守るために、本を読んだり絵を見たり映画を見たりして、実際とても救われました。そういう経験を経ると、芸術に対する全幅の信頼を置くようになって、なんやかんやで画家になっちゃったりもするのでしょうね。

いま私が絵に描いているものは「世界とどのように関わったか」ですので、他者と関わり合うことの難しさ、ままならなさは未だに大きな関心事です。他者との間にどのような境界線を引いて自分の領域を守るのか、かすれた曖昧な線なのか、太くて硬い線か、伸びやかで踊るような曲線なのか、考えるのは面白いです。

さて、次のお題です。
以前、最近行った展覧会のお話をしてから1年以上たちました。その後みたもので印象に残った展覧会の感想をぜひ。アーティゾン美術館「ABSTRACTION」、すごい見ごたえでしたね。