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見切

クーラーの部屋にいるが,汗がすごいことになっている.まるでサウナから出た人みたい.

リンパマッサージを最近ちゃんとやるようにしてみた.昨夜は涼しい部屋でゴッド・ファーザーを見ながらマッサージしていた.映画の涼しさとは対照的に,私は一人汗だくになっている.
それにしてもゴッド・ファーザーは美しい映画だ.静かなドキュメンタリーを見ているよう.60年代,70年代の映画やドラマをよくみるが,あの情緒が私は好きだ.お洋服,車,インテリア.音楽,色調.心地よい.静かで,「間」でものを語るような映画が好きだ.余韻に浸る日曜の夜.

出先である人から手紙をいただきお食事のお誘いをいただいた.重厚なC製の封筒.ぎょっとしてしまい,人見知りな私は断る気98%だったが,月に数度顔をあわせることを思うと無下に断るのも気が引けてしまった.「はい」とお返事したら,一週間後フレンチのコース料理がセッティングされてしまった.これはおおごとになってしまった…コミュ障の私はいまから「帰りたい」と思っている.

7月が終わる日だったのね.この数週間,仕事に対しても恋愛に対してもおおきな気持の変化があった.どちらにも「見切」というレッテルを貼った.悲しいが違和感をきちんと受け止めようと,ようやく思えてきた.
一万粒程涙を流したことだろう.それは映画のせいもあるし,悲しさのせいもあるし.不条理に対してもある.でも涙を流した後には少し前を向けることを本能的に知っている.私はそうやって生き延びてきている気がする.

彼は「家」が売れたらしい.メルカリで売れた,みたいなテンションで言っていた.かつて7年前かな,私たちが同棲していた家は,秋には無い.感慨深いものもあるが,へーそうなのね良かったね,という気持もある.
男と女.十人十色の関係性と距離感があるけれど.私はもう詰めない.

彼と夏の旅行なんとなく計画している.でも1人で行って来るねと私は言い出すのだろうか.それとも何も言わずに私は遠くへ行くのだろうか.その「遠く」から私は帰ってくるのだろうか.電車から入道雲がみえる.

「見切」レッテルを貼り,乱れたも諸々を整える手始めとして,突然本を読み漁りだし,音楽に溺れ,映画も見始める.博物館,美術館にも時間が許す限り行く.心を感動で埋め尽くす作業をする.昔なら,即日沖縄や奄美に仕事帰りにそのまま向かい.碧い海で命を洗った.

ピアノの練習をする.夜10分〜1時間没頭する.ほんとピアノが弾けないんだなーと自分を再発見する.手が小さいのでオクターブも辛いし,コードを連続して抑えるのもハードだ.そして,幼少期のバイエルは私に1つも身についていない.でも,今になって「出来ないこと」が少しづつ「出来る」になるって嬉しい.コードの勉強をしているがなんて楽しいのだろう.無心で夢中.芸術が自分のそばに親しく存在してくれていることの有り難さ.家の中でも命は洗われる.

突き抜けられず,うじうじメソメソする自分もいるけれど.それも,よしとして認める.話はそこからだ.







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