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最後の試合

4歳から中学校2年生の14歳まで空手を習っていた。


週に3日から4日、道着を着て帯を締めて、こぶしを握りしめて、汗を流していた。

稽古に励む理由は道場生それぞれで
「心を強くしたい」「強くなりたい」「友達が通ってるから」「黒帯がかっこいいから」とか

自分の場合、スタートの理由は曖昧だが、
続けていた理由は2つあって
「親友がいる」
「大会で勝てるとめちゃくちゃうれしい」
この2つの理由で10年近く続けていた。

「空手の大会で勝つ」というと
組手or型で優勝
または組手and型で優勝ということになる。

組手and型で優勝の人間は5年に一回そんな化物が出てくるが滅多にあることではない。
その化物の代に生まれなくて心底良かったと思っていた。

そもそも組手と型の違いから
組手……防具を身につけて、相手に技を繰り出しポイ
    ントを獲る競技
型……決められた動作をいかに正確に美しく演舞
   できるかの競技 
だいたいこんな感じである。

自分は組手が好きだった。勝ててたから好きだったのか、好きだったから勝てていたのか。

力が強かった訳でも、特別体が大きかった訳でもなかったが、結構勝てていた。

相手の動きを読んで、裏をかいてポイントを獲る。
性格にあっていたのかもしれない。

ただその反面、型がめちゃくちゃ苦手だった。
10年目の最後まで、初心者に毛が生えてるか抜けてるか怪しいレベルだった。


同じ代に型がとても上手いD君という人がいた。

親友だと思っている。
今も年に一回くらいの頻度で会う親友。
 
D君は型が上手く、一つ一つの動作が美しいと言っても過言ではなかった。
大会でも表彰台の常連だった。
子供ながら尊敬していた。
同年代を尊敬したのは多分これが初めてだと思う。
 
しかしながら
D君は自分の逆で、型は得意だが、組手は滅法苦手だった。
優しい性格が邪魔をしていたのかなと思う。
 
そんなD君とはお互いが持ってないものを補いあえているようで、一緒にいるととても楽しかった。

性格はほとんど真逆だったが、気が合った。
お互いの得意なフィールドでぶつかり合うことが無かったのも長年仲が良かった理由の一つかもしれない。

純粋に尊敬しあえる関係だったと思う。


ただ、青春は有限で、自分が一足先に空手を辞めることになってしまった。
中学生時代の部活と勉強の両立に苦しんだ果ての選択だった。

D君は責めるでもなく、同情するでもなく、理解をしようとしてくれていたと思う。
「そっか、しょうがないよね……」
そんな会話をした時の悲しそうな目は今も忘れられない。
そして、次の大会を最後に空手を辞めることを決意した。

そのちょっと前くらいからか、
D君は組手が強くなっていた。
元々運動神経は抜群に良いため、本気になれば自分はすぐに追いつかれ、抜かれると思っていた。

お互いの得意なフィールドが分かれているから対等な関係であったと思っていたため、その均衡が崩れるようでとても焦った。

ギリギリ勝ててはいたが、10回やったら6勝4敗くらいになるくらいには実力を詰められていた。


そして、最後の大会

トーナメントの反対側の山にD君はいた。

そのトーナメントを見て、何となく分かった。

ーー自分の最後の試合はD君との決勝戦なんだな。

自分の山には名前がちょっと有名な他道場の選手だったり、D君の山の方にも絶対当たりたくないと思っているほど強い選手がいたり。

でも関係がない。

D君と決勝で戦う。



そして、
その日のトーナメントが進行して、決勝戦。

そこには
赤い防具を見に纏った自分と
白い防具を見に纏ったD君がいた。

そこからの数分間は人生で1番楽しかった。
勝ち負けではない。焦りでもない。
ただただ幸せな時間だった。

型で決勝なんか絶対に行けないどんくさい自分に
D君がわざわざお別れを言いに来てくれたように感じた。
それに少しでも応えられるように全力で戦った。

結果は『ロッキー3』のロッキーvsアポロの
友情の一戦のように多くの人には語らないが、ただただ楽しかった。

部活や勉強を言い訳にせず、無理やり空手を続けていたらこの幸せな時間はもっと長く味わえたかと言うと絶対そうではないと思う。

そして、今
人生で2番目に楽しい時間は
D君とお酒を飲みながら年に一回この時の話をすることである。





悪くないよね




おわり




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