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華金ポテトチップスの原点

小さい頃、この世で一番美味しい食べ物は山登りして頂上で食べるお弁当だった。
私の母は自然が好きで、子供達にも自然とたくさん触れ合って感受性豊かに育ってほしいと願ったのか、ゴールデンウィーク、夏休み、冬休み、春休み、とにかく休暇という休暇に山や海や川に連れて行ってくれた。

中でも一番楽しかったのは夏休みの海水浴だった。その日は朝早くに家を出て、車で海に向かう。お気に入りの岩場を他の人に取られる前に占拠して1日中岩の穴を出入りする蟹を捕まえようと格闘したり、綺麗な貝殻を拾い集めたり、砂の城を建てたりと、無我夢中で遊んだ。

一方、毎年ゴールデンウィークは山に登るのが我が家の恒例行事だった。正直私は山登りがあまり好きではなかった。新緑の眩しい季節、自然の香りを胸いっぱいに吸い込んでリフレッシュ…というわけにはいかず、虫だらけの山の中を汗ばみながら延々と足を運ぶことのどこが楽しいのかさっぱり分からなかった。ただ、頂上にたどり着きさえすれば、母が早起きして一生懸命作ってくれたとびきり美味しそうなお弁当が待ってる。それだけを考えて、必死に足を動かしていた。
山登りは頂上までの最後の100メートルくらいが何故か異常に辛かったりする。もう一歩も足を動かしたくないというところで突如現れる急な階段。それを、半ば身体を引きずるようにして、ひたすら踏み込んでいくと、ようやく視界が開けて頂上にたどり着くのだ。しかし、頂上に着いた喜びを悠長に味わっている暇はない。お昼ご飯のための場所取りという重要なミッションをクリアしなければならない。大抵山の上では、同じく厳しい試練を乗り越えてきた家族連れや団体客が、既にあちこちにレジャーシートを広げて、わいわいご飯を食べていた。木陰や平らな地面の人気スポットはすでに先客で埋まっていることが多々あったので、我々は食べ終わりそうな人達が移動するのを待つか、たまたま空いていた好条件の場所に滑り込んだ。
こうして自分達の陣地を確保し、レジャーシートを広げてようやく我々はゆっくりと辺りを見回し、登頂の感慨に耽ることができた。

さて、お待ちかねのお弁当タイムである。母お手製の山登り弁当は豪勢だった。まずおにぎり。わかめ、鮭、ゆかりの3種類が我が家の定番だった。ラップで包まれたおにぎりはしっとりしていて、別で持参したパリパリの海苔で巻いて一口頬張ると、海苔の風味とお米の旨味がふんわり口一杯に広がる。シャケおにぎりは少しぱらぱらしていて、シャケの油がお米の粒をコーティングして、優しいしょっぱさだ。わかめやゆかりのおにぎりはぎゅっと握られて硬くなってる部分がモチモチしていて、冷めてひんやり冷たいのが逆に美味しかった。
それから唐揚げ。鶏肉とピーマンを小麦粉の衣で揚げたもので、お昼ご飯の頃にはお弁当箱の中でしっとりしていた。鶏肉にはニンニクや生姜でしっかり味がついていて、もぐもぐ味わっていると、疲れた脚まで元気になってきたような気がした。
それから、ポテトサラダ、塩茹で枝豆やブロッコリー、煮卵にミニトマト。煮卵は前の日の晩からしっかり醤油に漬け込んであり、黄身がトロトロの最高の茹で加減。一口かじることに口福が広がった。
デザートにはグレープフルーツなどの柑橘類がキンキンに冷やされてタッパーから出てきた。もうここまで食べると、心も身体は完全にリフレッシュして、疲れも吹き飛んでいた。

お腹いっぱいにお弁当を詰め込むと、ちょっとそこらへんを歩いて、頂上からの景色を眺めようかという余裕も出てくる。そしてようやくカメラを持って、雄大な景色を写真に収めるなどした。
山登りは実は下りがきつかったりするが、お弁当で心が満たされた我々は無敵だった。特に弱音を吐くこともなく、むしろ歌なんか歌ったりして、陽気な帰路だったことしか覚えていない。

これが幼かった私が、世界一美味しいと思っていた食事だ。

そして今、私は炭酸飲料片手にポテトチップスを頬張っている。ああ、なんて美味しいのだろう。1週間あくせく働いて、金曜日の夜に半ば罪悪感を抱えながら貪るポテトチップスほど美味しいものがこの世にあるだろうか。山登りの後のお弁当を美味しいと頬張っていた健全な私はどこに行ってしまったのだろう。なんて不健康な大人になってしまったのだ。

だが、このポテトチップスの美味しさ、どこか山登り後のお弁当を想起させる。
なぜだ?と、考えていて気づいた。
そうか、私は今、毎日毎日山登りをしているのだ。金曜日の夜という山のてっぺんで、自堕落なポテトチップスを貪り食うことだけを楽しみにして、月曜日から金曜日まで重たい足を必死に一歩一歩動かしているのだ。そう気づいたら、このポテトチップスもなんだか健全な食べ物に見えてきた。1週間お疲れ、私。