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蠢動

ワイパーに   花ひとひらの   希望かな

九州出身の私から見て関東地方は桜の植樹がとても多いように感じられ、春ごとに目を楽しませてくれる存在に耽美に耽ると同時に、古今和歌集の歌仙に想いを馳せながら、その儚さと潔さに悲しみを覚える程歳を取ったのかともしみじみと思う。


ごとならば さかずやはあらぬ桜花 見る我さえに しづ心なし 
古今和歌集 紀貫之

古今和歌集では桜の移ろいを描写した作品が多いように感じるが、私も歳を重ねるごとに、花が散る姿に老いていく自身を重ねている自分がいることに気付く。
返らない青春群像、犯してしまった誤ち、それでも今がひとかたなりの幸せを享受できているからこそと自分の現在地を確認できる。

またそれは同時に、未来に対して何の根拠もないことを予感させるために、殊更、人生とは「今、この時」のことなのだと思わせられる。
今、この時に命を燃やすことが「良く生きる」ことと。

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