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アジアを股にかけた大妖怪 九尾の狐

9本の尾を持つ中国神話にみられる伝説上の生き物、九尾の狐
今回はこの九尾の狐についての情報をお伝えしていきたいと思います。


この生き物に関する記述の中に「山海経」での九尾狐があり、
山海経には、足が4本、尾が9本の狐が青丘国に住むという記述があります。
また「よく人を食う」という事も書かれており、これにより九尾の狐への悪いイメージが強まったのではと考えられています。


九尾の狐の悪いイメージに繋がるもので代表的なのが、紂王の妃「妲己」です。
妲己を妖狐として描いた「封神演義」の中では、千年の狐の精とあるだけで、直接的に九尾の狐とは描かれていませんが、いくつかの文献で金毛九尾狐の記述が確認出来ます。


妲己となった九尾の狐は紂王の寵愛を得ると、紂王を操り、罪なき人々を処刑するなどして楽しみました。
その処刑方法は「炮烙の刑」というもので、猛火の上に多量の油を塗った銅製の丸太を掛け、その上を罪人に歩かせます。
無事渡り切れた者は免罪、釈放するといったもの。
しかし、丸太の熱さと油の滑りで渡切れるわけも無く、焼け焦げるか落ちるかのどちらかという恐ろしいものでした。

その結果、政治は腐敗、人々からは怨嗟の声が溢れ、やがて周の武王と太公望による反乱で紂王は自殺、妲己は処刑されました。

しかし、九尾の狐はここで滅んだ訳ではありませんでした。
妲己の処刑から700年後、天竺(インド)にて、天羅国の班足王の側近である華陽夫人となり、悪事を働いていたのです。
華陽夫人は、仏教を迫害し僧侶千人を柵に閉じ込め獅子に喰い殺させるなどの虐殺を繰り返しますが、信心深い隣国の不明王による読経により、正体を現し、苦しみながら逃げていきました。


そして、日本へと上陸した九尾の狐は、玉藻前という官女になり、鳥羽上皇に近づき官邸を乱しました。
ですが、今回も陰陽師の阿倍康成により正体を暴かれ、那須野まで逃れたところで退治されました。


退治された九尾の狐は、身体は朽ちたものの、その執念は石となりました。
その石は「殺生石」と呼ばれ、近づき触れた者の命を奪う程の毒気を持ちました。


このように恐ろしい妖怪としての伝説をいくつも持つ九尾の狐ですが、その全てにおいて「美しい女」という点も共通していました。

また中国では本来、龍や鳳凰と同じく天下太平の際に出現し、瑞祥を表すとされる神獣とされていました。
漢や唐の時代には狐信仰も盛んになり、日本の稲荷信仰と同様で狐は信仰の対象でした。
それにも関わらず悪役としてのイメージが強いのは、やはり妲己などの伝説がそれほどインパクトのあるものだったと言えます。



デザイン・創作に使えるポイントやキーワード
・9本の尾
・博識の美女
・殺生石
・妲己
・玉藻の前




こうした情報を踏まえ、創作などに取り入れてみるのも面白いかも知れません。

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